60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

1回目。有りがたうさん


今年度もあと100日を残すばかりになったので、唐突にカウントダウン企画!


4月1日から新しい役職に就く予定なので、またその時にブログタイトルを代えるでしょうが、それまでの間、映画などの映像作品を100本、自身の備忘や情報整理のためにアップしていくつもりです。フィルモグラフィーなどというにはおこがましいけど、まぁそんな感じで。日々アップしていきますが、後日いろいろ追加情報を付加していくことも多々ありそうだし、気がつけば随時修正を加えていきます。まぁ、ゆる〜く続けていきたいと思っています。毎日のことなので、作品を見返す暇はないと思うので、記憶違いもあるかと思います。適宜修正していきます。いや、ほんとにゆる〜く。


さて、なにゆえ、このテーマなのか。
私は一応社会学者の看板は掲げていますが、特段、エスニシティや排除/包摂といった問題を扱うタイプではありません。学内の共同研究で、たまたまこのテーマにぶち当たったというのが正直なところです。共同研究者には、在日コリアンの集住エリアでフィールドワークを続けてきた人がいたり、アンケート調査によって排外意識の現状を把握しようとする計量系の人がいたり、朝鮮語がかなりできる民俗学者がいたり、在日コリアンゆかりの寺院を巡検する地理学者がいたり。その中で自分に何ができるかというと…。メディア(史)研究、文化(史)研究をしてきた人間として、映像作品に描かれた在日コリアン像の変遷を掘ってくことぐらいかなぁ、と考えています。
四方田犬彦氏、梁仁實氏、門間貴志氏などが、もうすでにかなり論じている領域なので、格別映画に対する造詣があるわけではない私にさて何ができるのやら。


さらに前置き、続けます。
在日コリアンという呼称をめぐってはさまざまな議論があり、その定義も一様ではないでしょうが、ここではとりあえず、「自らがコリアンであることに何らかのアイデンティティを感じつつ、1945年の敗戦によって確定した日本の領土内に一定程度恒常的に住まい、生計を立てている(立ててきた)人々」としておきます。国籍や使用言語、どのような名を日常的に名乗っているか等々は、メルクマールとはしないでおきます。いわゆるハーフ、クウォーターを除外することもしません。
なので戦前・戦中期の作品は、基本的に除きます。いわゆる「アリラン特攻兵」が登場する「ホタル」(2001年、降旗康男監督、高倉健主演)や「俺は、君のためにこそ死ににいく」(新城卓監督、石原慎太郎脚本・総監督)はとりあげません。
また、ドキュメンタリー映画の場合は異なりますが、その役を在日コリアンの役者が演じているか否かではなく、演じられた役が在日コリアンであるか否かに着目します。「力道山」(2004年、ソン・ヘソン監督、ソル・ギョング主演)や、大山倍達(チェ・ペダル)をモデルとした「風のファイター」(2004年、ヤン・ユノ監督、ヤン・ドングン主演)も100本の中には入りません。当然のことながら、コリアンの俳優が日本映画に出た場合も、違います(「リンダリンダリンダ」は好きだけどなぁ)。


さて、一回目。戦前のものは扱わないといった舌の根も乾かぬうちに、まさかの1936年作品「有りがたうさん」。


川端康成原作、清水宏監督。主演は上原謙(その子が加山雄三大林雅美はどうしているのだろうか)。「伊豆の峠道を走る乗り合い路線バス。その運転手を人々は“ありがとうさん”と呼んだ」。そのありがとうさんが、工事現場から工事現場へと渡り歩くコリアンの人々と遭遇し、チマチョゴリ姿の娘と言葉を交わすシーンあり。


『映畫読本 清水宏』(フィルムアート社、2000年)の田中眞澄「中国・朝鮮に向けられたまなざし」という文章には、西洋文化に憧れたモダンボー清水宏も、実際に赴いたのは大日本帝国の版図であり、内鮮融和などプロパガンダ映画を手がけたが「『有りがたうさん』の朝鮮人労働者の一団の点描に『自由の天地』を前提すれば、単なる社会性という以上の清水の作家的モチーフ、すなわち疎外された存在への彼独特の親和力に想到させる。…《朝鮮》は清水にとって、娼婦や孤児とともに詩心を誘う媒体であった」とあります。「自由の天地」は未見ですが、1936年作品で「朝鮮に自由の天地を求めて、朝鮮労働者たちと旅立つ結末」をむかえる若者群像劇のよう。
この「詩心」をどうとらえるかは要考慮でしょうが、そんな監督もいたんだなぁ、という備忘。