60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

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金曜日は阪神電鉄系のプール、土曜日は実家近所の市営プール。
写真は市営プールの喫茶コーナーで見かけた、喫煙鳥。
夏休みのパパをやりつつ


中川清編『明治東京下層生活誌』岩波文庫、1994
司馬遼太郎坂の上の雲(一)〜(八)』文春文庫、1999


たしか1931年生まれ1972年没、中間文化の申し子のような父親をもつゆえ
家には司馬遼太郎松本清張山本周五郎海音寺潮五郎井上靖などがあった。
(そういえば、今日は父親の命日。合掌)。あとお約束の山岡荘八徳川家康』。
大江健三郎『セブンティーン』や野坂昭如エロ事師たち』、吉行淳之介なども
まざっていたし、北杜夫のどくとるマンボウものや『楡家の人々』もあった。


たぶん小学校5年生の大河ドラマが『国盗り物語』だったために司馬作品も
そこからダラダラと高校ぐらいまでかけて、だいだいは読んでいたように思う。
だが、時代小説・歴史小説の類で言えば、松本清張『無宿人別帳』やら
山本周五郎の路線の方を好んだ。あと強烈だったのは、松本清張の『昭和史発掘』。
(関係ないけど、最近あの黒岩重吾が歴小説家となっていたことを知り、びっくり。
父親の棚にあったのは、大阪市西成区界隈が舞台となったものばかりだった)


ひねて大人本を隠れ読みしていた一方で、子どもらしく図書館通いもしていた。
好きな児童文学は、かつおきんや。加賀・金沢あたりの民衆史掘り起こし系。
どうやら大学時代、村方騒動で卒業論文をかくハメになったのは、
このあたりに原因がありそうな気がする。で、『坂の上の雲』。
どういうわけか未読だったが、さすがに概要をつかんでおく必要にかられ、目を通す。
日露戦記になったあたりから、正直飛ばし読み。これまで手に取らなかった理由も
そのへんか。戦記ものなど読んで、自分を将校や大名の側において考える人たちには
たいへんおもしろいかもしれないのだが(というか、そういう人が多数だと思うが)。
どうも、戦争物を読んでると、自分を歩兵や足軽の側において考えてしまう。
このへんがダメだったんだろう。「部長は家康型だが、課長は秀吉型だ」だとか
飲み屋で話すサラリーマンになれなかったのは、そうした性癖のゆえだろう。


でも、世間一般の組織は、別に武将や司令官が集まって成り立っているわけでもないし
日々の業務が、天下分け目の戦いでも一国の興亡をかけたものでもない。
大仰に考えるのもなんだかなぁ、と言ってると『プレジデント』読者にはなれない。
というか、最近経済誌が、お受験パパ向け雑誌になってるような気もする。
そのうち進学塾を藩校に比定してみたり、人気講師を儒者にたとえてみたりとか
あんのかも知れないなぁ。歴史学業界は手堅い顧客をもってるので、何かうらやましい。