60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

記憶


アマゾンに自著をお奨めされてしまいました。


以前古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』をチェックされた方に
社会学ウシジマくんの発売について、ご案内いたします。
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とのこと。


町村敬志編『都市空間に潜む排除と反抗の力』明石書店、2013
岸政彦『同化と他者化』ナカニシヤ出版、2013
萩原滋編『テレビという記憶』新曜社、2013


そうだな…。今日はいろんなところで、2年前の記憶が辿られるのだろう。
2011年3月11日の午後は会議に出ていた。ペーパーレス!ということで
目の前にパソコン画面を立ち上げ、資料を眺めながら議論を聞いていた。
そして、背後に誰もいないことをいいことに、会議に飽きたら
無線LANでネットサーフィンという、もし授業中学生にされたら
非常にムカつくことを自らしていて、地震の速報を知った。
……その時、それがあんな大事だとは、思ってもみなかった。


『あんぽん』に、東日本の際、あれだけアクティブだった孫氏が
阪神淡路の時にはさほど動かなかったのはなぜ?、との問いに対し
あれはどこか他人事みたいな…、
といった答えを返している件があったように思う。ま、たしかに
神戸に対して、ダイエー故中内氏ほどの思入れは無くて当然だろう。
だが、あの時も瓦礫の下で人々は…、と思ってしまった。
(かつての被災地に、ここ16年ほど住んだ者としては。
前のアパートは、新幹線の高架が落ちたあたり。
その時、床下の水道管がひずんだのか、水たまりの上に
長らく暮らしていたことが、その後判明。体に悪いよ、それは。
まぁ、まだあの頃は、子どもがまだいなかったからよかったけど)


しかし、こちらも阪神淡路の時、じつはまだ東京にいて、
孫氏とほぼ同様な受けとめ方をしてたので、ひと様をとやかく言えない。
なぜか早くに目を覚まし、テレビをつけると神戸の惨状が…
堺の実家に電話すると、母は当時まだ会社勤めをしていたので
南海電車が動かないから仕事に行けない、とプリプリしていた。
(その後、電話はしばらく通じなくなる)
阪神間に住む従兄弟たちの無事がわかり(他の親戚は南海・近鉄方面)、
会社に出て、関西支社の社員の無事がわかった時点で
どこかで自分の中では阪神淡路大震災は落着していた。
やがて世の中は、オウム真理教一色になっていった。
その年の春に祖父が亡くなり、岡山まで新幹線で行けないため
とりあえず羽田に走ったくらいか…(無事、飛べました)。
そしてその秋、窓の外にまだ倒壊家屋が若干残る阪急電車に乗って、
転職の面接を受けに行った(会社は、有給休暇)。


地震に関しては、ごく運よく生きてきた。
でも、2度あることが、3度あるとは限らない。
ほどよくビビりながら、生きていきたいものだと思う。黙祷


今日は朝から会議、通院、所用、会議、懇談会。