60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

下関にて


この通りのホテルに泊まった。



チルソクの夏」「カーテンコール」で町おこしを考えていたよう。
風の外側」や「ハードロマンチッカー」でないあたりは、まぁ納得。
佐々部清監督の新作が「東京難民」で、主人公が北九州出身というのも
なんかリアルだなぁ。捕鯨で栄えた下関、製鉄で栄えた北九州…。


樋口直人『日本型排外主義』名古屋大学出版会、2014
中村一成『ルポ京都朝鮮学校襲撃事件』岩波書店、2014
木戸寛行『コピーライター放浪記』未知谷、2013


樋口本。アーヴィン・ゴフマン好きには、「在日特権」フレームの話は腑に落ちる。
「それは在日特権である」フレームをシェアし、作動させる人たちにとっては
何事についても「それは在日特権である」と認定することは可能だし
その認識は強固なリアリティをもって、その人々の間では共有されている。
中村本を読んでも思うのだが、もうこの問題に関しては
これまで大学教員として、特にゼミの担当教員として接してきた朝鮮学校卒業者をサンプルとして
彼・彼女らとのつきあいを通して感受してきたこと以外は
一切材料とせずにものを考えていきたいと思う(実感信仰、直接体験絶対主義!)。
その経験を通じて、「在日特権」なるものをあえて挙げていくならば、
「この社会において難しい立場に立たされたり、アイデンティティの揺らぎを感じざるを得ない環境は、
人間的な成熟を促し、同年代の大学生と比較して精神年齢で数歳の高さをもたらし、
また小さな頃から語学教育を施されて(大学時代ブラッシュアップのためにソウルに留学したりもして)
比較的バイリンガルである点などもあって、総じて「就活に強い」というのが
朝鮮高級学校を卒業して、朝鮮大学校ではない学校に進学したタイプの大学生たちの
特権ちゃあ特権かなぁ(就職差別もかなり薄れてきたし。
企業は役に立つならナニジンでもかまわない、というリアリズムを有しているわけだし)」
「以前、ハーフないしダブル(両親の国籍が異なる。ここでは、どちらかが日本籍のケース)の
朝鮮高級学校卒業者で、国籍は生まれた時から日本籍だけど、親の方針で民族教育を受けてきた…
という人がいた。その人の場合、朝鮮学校時代はコリアンな名前を使っていたが
ジャパニーズがマジョリティな大学に進んだこともあって
大学時代はジャパニーズな名前を使っていた。これなどは「通名特権」でもなんでもなく
戸籍上の名前を使っているだけだが、そのように二つの名前を持っているというのも
まぁかなりオリジナルな体験だし、その人を強く印象づけることができて
ある種のウリになる局面もあるのかなぁ(その学生は、卒業後、営業職に就いたし)」
くらいのことしか、私には思い浮かばない。
そして、「就活に強い」という話をもう少し補足しとくと、
知ってる範囲での朝鮮高級学校卒業者は、皆、民族系ということではなく
いわゆる日本企業に就職していった(そして給与所得から天引きで税金を納めている)。
でも、「在日特権」フレームを共有・作動させる人たちとっては
「就活に強いと言うのは、アファーマティブ・アクションなわけで…」とか
「ハーフで生まれても日本籍を持ちうるという特権を付与されている」とか
すごい曲解を経て、「在日特権」フレームは強化されていくだけなんだろうなぁ。


皆、よく知らないで…、というのが事態がここまで至った主因なのだろう。
でも、まぁ私も大学教員をやってなかったら、知らないことばかりだった。
以上、樋口本・中村本の感想。