写真は、小林聖心裏にて。
学部ゼミ、修士課程と持ち上がった某さん、
某公共団体に決まったとか。
だいぶ前の卒業生某くん、東京進出だそうで。
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皆、がんばれ〜
香川めい他『〈高卒当然社会〉の戦後史』新曜社、2014
竹内洋『競争の社会学』世界思想社、1981
香川ほか本。ベビーブーマー(団塊)たちが高校学齢期にさしかかった時
各都道府県はどのような対応をしたか、とその今日までに及ぶ影響。
公立校の拡張で対応したり、私立校の増設・増員で対応したり。
大阪府の私学に対する姿勢は「文句をいわずに生徒を多くとれ」という
高圧的なものだったとか。当時、生徒数3000人以上の大規模校として
大阪府下11校の私立高校が上がっているが、
近畿大学付属
帝国女子→大阪国際滝井
布施女子→東大阪大学敬愛
大阪成蹊女子
浪花女子→関西福祉大学金光藤蔭
大阪鉄道→阪南大学
淀川女子→英真学園
朝陽ヶ丘女子(1969年廃校)
大阪学院大学
大阪女子短期大学付属
住吉学園→清明学院
朝陽ヶ丘女子…。知らなんだ。
今でも往時の規模を誇ってるのは、近大付くらいのものかねぇ。