60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

久しぶりにヤフーの方に



昨日点灯式だったよう。
これは社会学部棟の中庭の様子。
時計台周りでは、もっと大々的にツリーが点灯したはず。
昨夕は暖かかったから、点灯式、見にいってもよかったなぁと、
今朝からの冷え込みの中で考える(まだ一度も出たことない…)。


とてつもなく久しぶりに、ヤフーニュース「個人」に書きました。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nanbakoji/20141202-00041152/


昨日、発売となった著書がらみっちゃぁ、著書がらみです。
あと、『「就活」の社会史』のために
最初に書いた「あとがき」を載せておきます。
ページ数が膨れ上がったために大幅に削りましたが、
まぁ、以下のような気持ちで書いた本でした。


「この秋、難波家の墓を移す作業をしました(と偉そうに書きましたが、情けないことにこの年になっても母親に頼ってます)。
 そのせいか今回、記述の中にやたらと私の一族の歴史が混入してしまいました。読者の皆さんにはご迷惑だったかもしれません。でも、供養・孝養の気持ちもあるのですが、就活の百年史とわが家の百年史が、妙に絡みあっているのもたしかです。
 どうやら私は百年史が好きなようです。広告やメディアの百年史が一応の専門なのですが、上京の百年史を書いたこともありました。関西私鉄の百年史、アメリカナイゼーションの百年史、在日コリアン表象の百年史、アドマン(広告業界)表象の百年史など、まだまだやりたいことはたくさんあります。以前ならばワープロ、現在はPCという機械相手に、こつこつとモノをこさえていたい製造業気質の人間なのでしょう。二代さかのぼれば、造船所や紡績工場で働いていた血筋なので、ホワイトカラーがまだ板についていないのかも知れません。本来ならば末尾に記すべきでしょうが、ここではまず自身の家族・親族に謝意を表したいと思います。
 また、文中いろいろと述べましが、現リクルートホールディングスには感謝の念を抱いております。かつて広告代理店社員時代には、とてもありがたいクライアントでした。数点、『コピー年鑑』に私の名が残っているのは、リクルート・フロムエーのおかげですし、大学教員に転職後は、学生たちのありがたい就職先です。本書は基本的に敬称略で通していますが、こちらが20代のあの頃、お世話になった方には、どうしても呼び捨て御免というわけにはいきませんでした。ただし、子どもたちが将棋を指し始めた影響で、ここ数年来、将棋界の盛り上げ役となっているマイナビドワンゴには、やや肩入れしたりもしています。将棋とメディアの百年史も、いつか書きたいものです(ご興味を持たれた出版・編集関係の方、おられましたら、お声がけよろしくお願いします)。
 それからもろもろ参照させていただいた、労働社会学・教育社会学労働経済学などの成果に感謝いたします。一般読者想定の本なので、アカデミックな観点からは、乱暴な引用や失礼な紹介も多々あったかと思いますが、ご海容いただければ幸いです。将棋の世界でたとえれば、今回自分としては「普及」につとめたつもりです。これをきっかけに、一人でも多くの読者に、より専門的な本へと読み進んでもらえればと願っております。
そして本書は、より就活の現状に即した前著書(『大二病』)同様、特別研究(サバティカル)期間中に書かれたものです。また、本務校の図書館に、「朝日新聞」の縮刷版と『朝日ジャーナル』のバックナンバーが揃っていたことにはずいぶんと助けられました。職場に対しても、謝意を表したいと思います。
 最後になりましたが、祥伝社堀裕城さんに感謝いたします。ヤフーニュース「個人」にあげた拙文に興味を持たれ、お声がけいただきました。スピード感あるお仕事ぶりに、励まされました。祥伝社にてマンガ誌やファッション誌を担当されていたい時代のお話もおもしろかったです。そう言えば、音羽と一橋の百年史みたいなものも、書いてみたいんですが…。」