60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

SGHとSGU



「SGHとSGU」(2016年4月15日付日経新聞夕刊)
 先月、私の勤める大学で、近畿地区のSGHならびにSGHアソシエイト校の課題研究発表会があった。
 SGHとは、スーパーグローバルハイスクールの略である。一方、スーパーグローバルユニバーシティは、SGU。私の勤務校がSGUであるため、他のSGUにも共催をお願いし、SGHの生徒たちをキャンパスに招くイベントを実施したのだ。私も高校生の研究発表に対して、コメントする役を仰せつかった。
 参加校は27校。うち口頭でのプレゼンテーションに臨んだのが、22校。ポスター発表というかたちでは、84件の参加があった(こちらは1校から複数の応募・出展が可能)。
 プレゼンする22校は、4教室に分けられ、中には英語での発表が続く会場もあった(幸い私には日本語発表の教室が割り当てられた)。同じ学校法人内の高校も複数参加していたので、そのコメントを担当するとなると、そうした高校の先生方も会場におられるだろうから、やや気が重いなぁと思っていたが、幸いそちらも当たらずに済んだ。
 さて、私が分担した教室の発表は、開発途上国で下痢疾患を減らすために簡易浄水器を普及させようという提言や、フェアトレードを自ら実践した報告などなど。簡易浄水器の発表者は実際に現地に出かけ、インタビュー調査や視察を行っていた。フェアトレードの方も、商品の買いつけや製造元の工房を見学するために、高校生たちは海外に出かけていた。
 時間があったので英語でのプレゼン会場も覗いてみた。するとインドネシア第3の都市バンドンの交通システムをいかに構築すべきか、という発表が行われていた。なぜ日本の高校生が…と思われるむきもあろうが、提案内容は詳細かつ具体的な、よく練られたものであった。
 バンドンときけば、戦時中のプロパガンダについて調べたことのある人間にとっては、大木惇夫(あつお)の詩「戦友別盃の歌」がまず思い浮かぶが、高校生たちの語るバンドンは、経済発展と観光資源の保護とをバランスよく融合させた、21世紀の先進的な都市像であった。
 自身が高校生だった頃を思い返すと、ロンドンではセックスピストルズというのがすごいらしいなどと噂しあい、学ランに安全ピンをジャラジャラつけて喜んでいるようなバカだった。インターネットのはるか以前のことなので、当然ではあるのだが、まさに「葦(よし)の髄から天井を覗く」といった海外情報への接し方だった。それにひきかえ、最近の高校生は…。英語の発音はきれいだし、並の大学教員よりもパワーポイントの扱いに習熟している。
 日本でドメスティックに生きようが、地方でローカルに生きようが、グローバルであらざるをえない現在、ということを改めて強く感じた一日だった。「(笑)」をつけて語られたりもする「スーパーグローバル」だが、その個々の取り組みには、見るべきものも多いように思う。
 そういえば高校生の時、安全ピンジャラジャラいわせながらも、郷土史研究の部活の一環として「切支丹灯篭(きりしたんとうろう)と伝えられる石灯籠は、本当に隠れキリシタンの信仰の対象だったのか」という妙なテーマについて調べた記憶がある。あれはあれで、グローバルな課題研究だったのかも。
ゆくゆくはこのイベントが、「課題研究の甲子園」みたいに育ってくれればよいのだが。


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今日は朝イチで打合せ。あと、人と会う約束など。