60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

よみがえる高田渡


「よみがえる高田渡」(2016年4月22日付日経新聞夕刊)
 4月1日、日経新聞朝刊の全面広告に度肝を抜かれた。
 25年間、60円でがんばってきたアイスキャンデー・ガリガリ君を、70円に値上げするにあたっての、赤城乳業の「お詫び広告」。
 何に対して驚いたかというと、フォークシンガー高田渡の「値上げ」という曲の歌詞を、そのまま利用してしまう茶目っ気にである。まさに企業スローガン「あそびましょ」そのまま。とぼけた高田の歌声が、紙面から聞こえてくるようだ。
 1961年生の私は、60〜70年代の深夜ラジオの黄金期をかろうじて知っている。AMラジオが、若者のメディアだった時代もあったのだ。とりわけ愛聴したのは、ラジオ大阪の通称「バチョン」と呼ばれた番組群。中でも桂べかこ(のちに南光)・笑福亭福笑の「木曜バチョン」がいちばん好きで、時に寝オチしながらも、ベッドでラジオを抱えるようにして聴いていた。
 その二人のパーソナリティが高田渡のファンだったので、番組でよく曲が流れていた。たぶんそれに感化されたのだろう。生まれて初めて買ったLPレコードは、高田の「汽車が田舎を通るその時」だった。そこから芋づる式に、高田に影響を与えたウディ・ガスリーの存在を知り、高校の頃、映画「ウディ・ガスリー わが心のふるさと」にはまった。ウディは、季節毎の仕事を求め全米を転々とする「ホーボー」の一人として、列車に乗り込んだ経験をもつフォークシンガーである。
 さらにそこからウディの息子アーロ・ガスリーを知り、彼主演の映画「アリスのレストラン」に、またしてもはまった。父ウディが大恐慌期のアメリカ社会を背景に労働歌を唄ったのに対し、その子アーロは60年代のフラワームーブメントのうねりの中で反戦歌を唄っていた。
 こうして上方落語が好きで、スタインベックの小説(よくホーボーが登場する)を好む変わり者の中学生は、どんどんその偏屈さをこじらせていったのである。
 そしてアラサーの頃、広告会社に籍をおきながら大学院生となった際、ネルス・アンダーソン『ホーボー ホームレスの人たちの社会学』という都市社会学の古典的名著があることを知る。遅ればせながら、ホーボーたちを描いた映画「北国の帝王」も観た。ホーボー趣味が再燃し、古本でウディ・ガスリーの自伝『俺のシッポにまた火がついた』などを探し出し、読みふけったりもしていた。
 今から考えれば、そんなことばかりしているから、会社に居つけなかったんだと思う。
 だが無理やりにこじつければ、広告とホーボーとは無関係ではない。60年代ニューヨークの広告業界を舞台としたテレビドラマ「マッドメン」にもホーボーの姿が描かれている。敏腕コピーライターである主人公ドン・ドレイパーが子どもの時分には、まだホーボーがおり、彼らは独特のサインを用いて仲間たちと連絡をとりあったりもしていた。
 そして、スノッブで典型的な広告(アド)業界人(マン)として、60年代アメリカの繁栄を謳歌したドンも、70年代には西海岸のコミューンに入り、ラブ&ピースな広告を作ったりしている。
 ガリガリ君から何もそこまで話を広げなくてもよいのだが、広告というものの文化的な雑食性、貪欲さ、しぶとさを改めて再認識した次第である。


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今日は博多にて教育懇談会。


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宇野維正『1998年の宇多田ヒカル新潮新書、2015