60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

今週末はオープンキャンパス!:入試と乳歯



「入試と乳歯」(2016年1月15日付日本経済新聞夕刊)
 明日から全国で一斉にセンター試験が始まる。私が勤務する私立大学でも、「センター利用入試」を導入しており、試験会場ともなっている。2月の入試に先立って、この土日、キャンパスは緊張感に包まれる。
 自身を振り返ってみても、これまで何度か受験を経験してきた。大学教員に転じてからは、毎年何らかの入試業務に関わってきたし、3年間入試部長という職に就いてもいた。そんなわけで私は、入試に関していろいろ思うところを抱いている。
 その思いを一言で言うとすると、「入試は乳歯である」。単なる駄洒落(だじゃれ)のようだが、本気でそう思っている。
 子供たちが通う歯科の先生からは、「乳歯をいい加減に考えてはいけません。栄養補給がもっとも大切な時期に使うものだし、健康な乳歯があってこそ、健康な永久歯は生えてきます」と言われてきた。
 別に、受験勉強で得た知識やテクニックが、大学卒業後の職業人としての人生に直接役立つことはあまりない。私は、センター試験の前身である共通一次試験の二期生にあたるが、マークシートで解答した化学や生物、さらに二次試験では記述も課せられた数学(数1・数2B)の知識は、入試が終われば瞬時に頭から消えていった。根っからの文系人間なのだ、こちらは。
 広告会社に勤めていた頃、周囲には統計学を駆使する人もいた。社会学者の中には数式を用いる人もいる。が、ありがたいことに私のような人間にも、なんとか居る余地はあった(これからは英語とデータが扱えないと…、なんだろうけどなぁ)。
 だが、大学の4年間で、その後食べていけるだけの「永久歯」を得ようとした際、受験勉強の経験は、新たな歯の土台となるのではないだろうか。大学の側は、順調に歯を生えかわらせて、自ら(さらには家族)の生活を安定的に支えられる人材を世に送り出そうとしており、その資質をはかろうとして入試を行っているのだ、と私は考えている。
 「受験生の乳歯をみて、どんな永久歯を持った社会人となるかを予測し、選考する」、それが私の入試観であり、入試は乳歯だと述べた理由である。現在、文部科学省の進めている大学入試制度改革も、なんとか工夫して「歯茎の健康状態」を診ようという意図なのだと理解している。
 ここ数十年で大学入試は一気に多様化した。学生たちに対して社会が求めるものが、加速度的に多様化している以上、それは当然の成り行きであったのだろう。マーク式のテストで高得点をとり、難関とされる入試をクリアしても、うまく仕事に就けない人々がいることは、すでに常識だろう。○○大学××学部に入ったら生涯安泰などという話は、もう前世紀の思い出の中にしかない。
 しかし、やはり大学人として声を大にして言いたいのだが、入試はまったく無意味な行いではない。やがて社会に出ていく時には生えかわらざるをえなくとも、大学受験の時点でどこまで自らの歯を磨きあげる習慣や素養を身につけているか否かの差は、歴然としている。それまで歯を強くしようとしてこなかった人が、大学4年間で頑丈な永久歯を得る可能性は、決して高くはないだろう。
 この週末、「歯が立たない」と嘆く受験生が少ないことを願っている。そして、今春、今年の新入生はいい歯をしているなぁと喜びたいものだ。健闘を祈る。


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オープンキャンパスの盛会を祈念して、この冬、センター試験前日に掲載された文章を、あげておきます。
写真は構内にある古墳。古墳とチャペルが同居(?)するキャンパスというのも珍しい。
スマホをかざさなくてもいろんなモノが見られます。
もちろん、(自粛)も結構獲れるそうだけど。
とくにこの辺、上ヶ原用水が流れているので、みず(自粛)が多いそうだけど。


松生恒夫・宮治淳一『1966年の「湘南ポップス」グラフィティ』彩流社、2016
角田光代『さがしもの』新潮文庫、2008


角田本。息子に読め、読めと言われ、読む。