60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

今年は瀬戸内海ネタで



 新入生の皆さん、本日はおめでとうございます。紹介にありましたように、私は現在社会学部長を務めております難波といいます。
 今日、明日と皆さんはガイダンス続きで、いろいろ大事な話を聞かなければならないので、この場では、私からは一つだけ、ごくシンプルに、皆さんに考えてもらいたい命題というか、テーマを投げかけて、お祝いの言葉とさせていただきたいと思います。


 そのテーマとは、「人生はマラソンであるか否か」です。


 何を言い出すんだこのおっさん、と皆さん思っているでしょうが、「人生はマラソンか、そうでないか」についてちょっと考えてもらいたいと思います。
 なぜ私がそういうテーマを投げかける気になったかというと、きっかけは数年前に流れたあるテレビCMにあります。CMといっても2分ほどの長さのものなので、主にウェブ動画として、ネット上で展開された、ある企業グループのCMにこんなものがありました。まず、その前半1分間は、マラソンのレースの様子が映し出され、ナレーションでも「誰だってランナーだ。ライバルと競い合いながら、時の流れという一本道を僕らは走り続ける。より速く、一歩でも前へ」、一つのゴールを目指し続ける、みたいなことを重々しく語り、「人生は、マラソンだ。」とテロップも出ます。
 ところが、ちょうどCMの真ん中あたりで一人のランナーが立ち止まり、カメラに振り返りながら「でも本当にそうか、人生ってそういうものか」と呟きます。この役、池松壮亮さんがやっていますが、その一言をきっかけにマラソンランナーたちは、コースを外れ四方八方に、散り散りに走り始めます。この動画の後半1分間は、さまざまな場所、さまざまなシーンで、マラソンのユニフォーム姿の人が走っている、みたいな映像になってきます。ナレーションでも「誰が決めたコースなんだよ、誰が決めたゴールなんだよ どこに走ったっていい どこに向かったっていい 道は一つじゃない ゴールは一つじゃない それは人間の数だけあるんだ」と訴えかけます。そして「すべての人生が、すばらしい。」とテロップが出て、またランナー姿の池松壮亮さんがカメラに向かって「誰だ、人生がマラソンだといったのは」と呟き、草原を走っていく、みたいなカットで終わります。
 これはある生活情報全般を扱うような企業グループの広告で、さまざまなライフステージ、さまざまなシチュエーションで私たちは皆さんと接しているのだということを伝えるCMでした。皆がどんな道を選んで、どこにいようが、私たちグループは皆さんと関わっているのだというメッセージがしっかり伝わりますし、街中を蜘蛛の子を散らすように走るランナーを俯瞰で撮る映像などはたいへんインパクトがあって、国内外の広告賞を多くとったようなCMです。気になる人は、「池松壮亮、マラソン」といったキーワードで検索すれば、まだこの動画にたどり着けると思うので、また後で見ておいてください。
 まぁ、いいCMだと私は思ったんですが、「人生はマラソンじゃない」というメッセージに、どこか違和感も覚えていました。
 その違和感の正体がわかったのは、昨年暮れのことです。皆さんは、『セトウツミ』というマンガをご存知でしょうか。最近完結したマンガで、映画化もドラマ化もされています。で、そのドラマが昨年秋から冬にかけてテレビで放送されていて、私はまぁたいへんな衝撃を受けました。皆さんは受験でそれどころじゃなかったかもしれませんが、私はこりゃマンガもちゃんと読まなければと思い、全8巻を読みました。で、このマンガの中のあるシーンをみたとき、先ほどのCMへの違和感の正体がわかったような気がしました。
 『セトウツミ』というのは、瀬戸と内海という男子高校生二人が、放課後川べりでグダグダだべっているというマンガです。そこに瀬戸のおじいさんが通りかかるというシーンがありました。そのおじいさんと瀬戸とは同居しているのですが、ちょっと認知症が入っていて、時々街を徘徊していて保護されたりもします。あるときの瀬戸と内海とのLINEの会話で、内海が「おじいちゃんは元気なん?」と聞くと、瀬戸は「玄関開けたまま、掃除機かけてて、そのままどっか行ってもうたわ」みたいなことを答えます。それに対して内海は、「ルンバやんけ」とつっこんだりしています。
 でも、この時のおじいさんは非常にしゃんとしていて、しっかりした口調で、二人の会話に「なんの話をしとったんや」と入ってきます。将来の話をしてるんだと答えると、おじいさんは次のように語り始めます。


「あのな…人生はマラソンやって言い始めた人がおって
今度は逆に人それぞれに道があってゴールがあるから
人生はマラソンじゃないっていう概念がカウンターとして
新たに加わったわけやけど」


と言い出します。これは完全に先ほど紹介したCMをふまえています。で、続けておじいさんは


「でもわしは思うんや
どっちにしろ走り続けなあかんって
そらなあ たまには君らみたいにこうやって座って休んでええよ
でもな いつまでも休んでると後ろからバケモンがゆっくり確実に近付いてくるんや
それも人食いのたちの悪いバケモンや
そいつに追いつかれんようにいくらヘトヘトでも歯ぁ食い縛って走らなあかん
それを労働と呼ぶのか努力と呼ぶのかわからんけど しんどいなあ」


と呟きます。で、「しんどいなぁ大吉」と瀬戸に言うのですが、瀬戸は「大吉は兄貴や、俺は小吉や」とキレます。おじいさんは、ここで電池が切れてしまって、いつもの感じのおじいさんになって、またどこかへフラフラと立ち去っていきます。で、瀬戸は、じいさんいつも歩き回ってると思ったら、バケモンから逃げてたんかいな、みたいなことを呟きます。
 で、結局私がここで言いたいことは、人生がマラソンであろうがなかろうが、どっちにしろ走り続けなあかん、ってことです。皆さんのこれからの大学生活、最低限きっちりとやってもらわなければならないことはありますが、人生の中でもっとも時間を自由に使える時期であることはたしかです。学業をはじめ、いろいろなことにチャレンジしてほしい4年間です。もちろん休息も必要でしょうが、とりあえず走ってみる。道が違ったと思ったらいくらでも引き返せます。人生はマラソンじゃなく、人と競い合うことがすべてではないけれども、だからといって、走らなくてもいいということにはならないということです。
 3年後、皆さんの多くは就職活動に臨むことになります。「道は一つじゃない、ゴールは一つじゃない」ので、就職活動というレース以外で、走り続ける人がいても、それはいいと思います。でも、現実には多くの人が就職活動に臨みます。その際、就活用語で言うところの「ガクチカ」が問われることになります。ガクチカ、なんて言葉あることを私も最近知りましたが、「学生時代にもっとも力を入れたこと」を略して「ガクチカ」です。で、就職活動のどこかのフェーズで、必ず「あなたのガクチカは」をたずねられる、エントリーシートンにはデフォルトでガクチカを書く欄があるということのようです。
 就活する、しないに関わらず、学生時代に力を入れたことはこれだ人前でキチンと語り、そこから自分は何をえたのかについて、その人にしか書けない文章を綴れる人になっていってほしいと思います。私たち教職員は、走り出した人をサポートすることは、少しはできるかもしれません。でも、ただ座り込んで、休んでいるだけの人を、走り出させることはできません。
 皆さんが今日この日から自ら走り出し、そして4年間を走りきってくれることを願います。4年後、皆さんが自分なりに納得いくゴールにたどりつき、また新たなスタートを迎えることができるよう、願っております。そのときまた皆さんに、おめでとうといえたら最高だと思います。
 皆さんにとって今日この日が、他人と競い合うのではなく、昨日の自分、これまでの自分よりも一歩先に踏み出すきっかけとなってくれることを願います。ひょっとして先ほどの、後ろから追いかけてくるバケモノというのは、過去の自分かもしれません。それに追いつかれ、取り込まれることなく、前へ前へと進んでもらえたらと思います。
 シンプルにと言いながら、いろいろ話してしまいましたが、以上をもちまして、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。