60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

弔辞



船本弘毅関西学院大学名誉教授のご葬儀にあたり】
 関西学院大学社会学部で現在学部長をしております、難波と申します。略歴のご紹介にもありましたように船本弘毅先生は、1970年から1998年の28年の間、関西学院大学社会学部にて教員として、宗教主事として、学部の教育、とりわけキリスト教主義教育を担ってこられました。
 もちろん先生は、大学全体を統括する大学宗教主事のお仕事もされましたし、学校法人関西学院、幼稚園から大学院までを含めた関西学院全体の宗教総主事も務められました。ですので本来ならば、院長、学長がお別れの言葉を述べるべきではあるのですが、急なことで都合がつかず、僭越ながら私から告別の言葉を申し上げたいと思います。
 とは申しましても、私が関学社会学部に着任したのは1996年のことで、先生とともにした期間は2年しかございません。弔辞をとのお話をいただいた時、正直言ってどうしたものかと思案いたしました。そこで、関学社会学部の卒業生で二人ほど思いついた人がいたので、その方たちにメールをし、先生がお亡くなりになったことを伝え、先生の思い出、エピソードは何かないかとたずねてみました。
 関西学院大学では、新入生に対して「キリスト教学」という科目を必修としております。各学部の宗教主事が、その講義を担当するのが通例となってございます。大教室ではあっても、先生ご在任中の社会学部卒業生は、先生の謦咳に一度は接しており、なにか思い出すところがあるのではと考えた次第です。
 そうすると、その日のうちに二人から、先生のご冥福を祈る言葉とともに、先生との思い出が、かなり長文のメールで届きました。本日は、それらをかいつまんでご紹介させていただきたいと思います。
 まず一人目は、1985年の卒業生となります。その方は学生時代、甲東園という関西学院大学のもよりの駅で、先生をお見かけしたので、思い切って声をかけてみたそうです。大教室での講義でお顔は一方的に存じ上げているというだけの関係性だったのですが、その人は遠藤周作が好きで、かねがね船本先生に、遠藤周作キリスト教観、その描くところのイエス像をどう思ってらっしゃるのか、たずねてみたかったとのことでした。
 すると先生は、遠藤周作キリスト教理解は甘い、砂漠宗教の厳しさがわかっていない、といったことを、甲東園から西宮北口までの二駅間、説いてきかせたそうです。その人はやはり遠藤周作が好きな分、そのときは釈然とはしなかったそうです。しかし今から考えてみると、生意気な一学生の議論を適当に聞き流し、やり過ごすこともできたはずなのに、先生は真正面から真摯に応答された、それはやはりありがたいことだったのだなぁと、よき思い出として残っているとのことです。
 もう一人は、1999年の卒業生になります。私が着任して初代のゼミ生になるのですが、その人には、「キリスト教学」の時間に、先生が非常に怒ってらしたことがいちばん印象に残っているそうです。何について怒ってらっしゃったかというと、先生のお母様がなくなられたとき、かなりのご高齢であったらしく、お母様の享年を聞いた人たちが、一様にホッとしていたことに対して怒っておられたようです。何歳であろうと、近しい人が亡くなれば、さびしいし悲しいものである。いわゆる大往生だったかもしれないが、その人が天に召されるタイミングを周囲の人間がこの辺りであろうなどと考え、納得すべきではない、といった怒りだったそうです。
 そのとき、学生であったその人は、周囲の人も悪気があるわけじゃないのに、大人気ないなぁと船本先生のことを思ったそうです。しかし、今から思い返してみると、先生は人が天に召されるタイミングは神様がお決めになることであり、われわれはその日までただ懸命に生きるだけだと、学生にメッセージされたかったのではと考えるようになったとのことです。
 お二人のメールだけを紹介しましたが、このように今40代から60代にかけての、何千、何万という関学社会学部の卒業生の心の中に、船本先生は生き続けております。また、移られた東京女子大学などで接した、さらに若い世代の人々の胸の中にも船本先生はとどまり続けているものと思います。
 先生が移られたあと、社会学部棟は建て替えられ、学部専用のチャペルも設けられようになりました。そのように変わった点もあるのですが、依然「キリスト教学」は必修科目として守られております。それも、船本先生が社会学部にキリスト教主義教育の種を蒔き、礎を築いてくださったからこそだと感じております。
 このたびは神様のもとへ、神様の定められたタイミングで旅立たれましたが、船本先生のよき影響は社会に広がりつづけ、かつ、先生が中学入学から半世紀以上を過ごされた西宮上ヶ原のキャンパスに永遠にとどまり続け、見守り続けてくださっていると私は思っております。先生の長きにわたるお働きへの感謝の念をこめて、私からの弔辞とさせていただきます。船本先生、ありがとうございました。


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