60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

入学式祝辞(夏爐、レモンライスの頃)

 皆さん、ご入学おめでとうございます。私は現在学部長を務めております難波といいます。役職上、一言ご挨拶を申し上げますが、今日、明日と皆さんはたくさんの大事な話を聞かなければなりませんので、私からの挨拶はできるだけ簡潔にと考えております。気楽に聴いてください。

 さて、皆さんは社会学部というところに入ることになりました。では、社会学とはいったい何なのでしょうか。もちろん社会学は、皆さんが高校まで学んできた、地歴・公民の社会科とは異なります。と言いますか、そもそも「社会」って何なんでしょう。

 話が難しくなりそうなので、ここで仮に「社会」という言葉を、「みんな」という言葉に置き換えて考えて行きたいと思います。わたしは先ほどから皆さんに向かって「皆さん」と呼びかけています。なので、この講堂に集まった社会学部新入生たちも「みんな」です。ここに集まった「みんな」に、何か共通する要素や傾向があるのか、他の集団、他のみんなと違う特徴があるのかないのか、あるとすればその違いはなぜ生じたのか。そんなふうに、人々の集り、みんなを一つの社会とみなし、それを社会学は研究してきました。

 そして、ここで注目してほしいのは、「みんな」という言葉には他の使い方もあるという点です。私たちはよく、「みんなそう言ってる」「みんなそうしているから」といった言い方をよく聞いたり、したりします。その場合のみんなは、具体的な誰それではなく、漠然とした「みんな」なのだと思います。

  私もかつてそうだったのですが、皆さんの多くも、みんな大学に行くから、みんな大学ぐらい出とけというから…と思ってここにいるのだと思います。そうじゃない人もいるでしょうから、一般論としてです。もちろん親御さんや高校の先生にそう言われた、勧められたということも多いでしょうが、でも、みんなが行った方が良いと言うから大学に行く、という場合の「みんな」は、別の言葉で言えば、世論とか、その場の空気とか、世間の常識とか、慣習や習慣といった言葉に置き換えられるのだと思います。それも、みんなの学である社会学の研究対象です。

 そうした「みんなイコール常識」みたいなものにしても、時代や国・地域によってまちまちだということについて、今日はぜひとも考えてもらいたいと思います。

 例を出しますと、私は23年前から関学社会学部に務めていますが、その当時、入学式の新入生のファッションは、こんな風に黒のスーツが大多数、ということではなかったです。

 そしてさらに私の大学生時代、「令和」の前の「平成」の前の「昭和」の時代の話ですが、私は入学式も成人式も出なかったので、初めてスーツを作ったのは、大学4年生になって教育実習に行った時でした。最初に作ったのは、紺色、ネイビーブルーのスーツだったと記憶しています。その次は、グレイのスーツでした。その二着で4年生のとき、企業や学校、教育委員会の採用面接をまわっていました。リクルートファッションが黒スーツに統一されるのは1990年代半ばのことです。皆さんは生まれながらに就活といえば黒スーツという世代でしょうが、私が関学で働き始めた1996年には、まだ今みたいに、いずれは就活で使うから大学入ったらとりあえず黒スーツをつくる、それで入学式に出るといった感じではありませんでした。

 では、就活ファッションといえば、リクルートスーツといえば黒と、誰が決めたのでしょうか。就活産業やスーツ量販店の販売戦略などもあったのでしょうが、「みんながそうするから…」ということで、黒スーツに統一されていったのだと思います。

 でも何も私は、それに文句を言いたいわけではありません。黒のスーツ、便利です。これでネクタイを黒に変えれば、お葬式に行けます。冠婚葬祭、何にでも対応できる黒スーツを、一着目のスーツとなるのは非常に合理的な選択です。

 では、なぜお葬式には黒いネクタイで、今日のようなお祝いの席には、白やシルバーのネクタイなのでしょうか。私はザキヤマさんのような白ネクタイを持ってないので、シルバーにしていますが、黒が弔いの色、さらには不吉の色で、白がお祝いの色、おめでたい色だと誰が決めたんでしょうか。それが、世界中の地域で通用する「みんなの常識」なんでしょうか。いつまでも、黒にネガティブな意味を背負わせておいて、いいのでしょうか。そのようにみんながシェアしている社会の常識を、一度意識的に見返してみる、見直してみるというのも社会学の一つの特徴です。

 いや、そんなややこしいこと考えずに、みんなそうしてるんだから、そうしとけばいいじゃんと思ってる人もいるかもしれません。私も、まぁだいたいはそう思います。だから今日はシルバーのネクタイを締めています。常識を疑ってみる、問い直してみることに何の意味があるのかと思っている人もいるかもしれません。

 しかし、みんなそうしているからという常識に従っていれば、まずは幸せになれる、安泰な人生を送れるという時代ではなくなったと、皆さんも感じているのではないでしょうか。

 大学を出れば、そこそこリスペクトされる職業につける、それなりの規模の企業・組織に正規雇用にされる、で、いったん正社員・正職員になれば定年まで安定した人生を送れる、というのは前の前の、昭和の時代のみんなの常識です。もう、みんなの言うことに従っていればそれでOKだという「みんな」は、どこにもいないです。皆さんの今後を船の航海にたとえると、海図も羅針盤もないまま、霧の中を進んでいかなければならない状態です。それは壇上の私たちも同じですが、私たちのほうが先に死にます。皆さんのほうが長い間、霧の中を旅することになります。

 そうした険しい航海を、荒波を乗り切っていくために、皆さんにはぜひとも自分の頭で考え、判断していくクセをつけてもらいたいと思います。みんなが言うから、みんながそうしているから、ではなく、あくまでも自分の頭で、です。このあと午後から話があると思いますが、みんながとっているからというだけで、安易な科目履修・選択をしないでください。明日は学生生活に関するガイダンスがあるますが、その場にいるみんなと同じことをしないとノリの悪いやつだと思われたら…と余計な心配をして、場の空気に過剰に同調して、よろしくない行動をするようなことは慎んでください。

 そして、3年4年と学年が進み、みんながしてるからとダラダラと、なんとなくはじめた就職活動は、あまり結果に結びつかないことが多いと思います。採用する側が求めているのは、みんなと同じようなことをしてきた、みんなと同じような人ではありません。あえて多くの学生の中から、ある学生をピックアップしようとする以上は、みんなと違う何かを持っている人を拾いあげていきます。

 じゃあ、黒以外のスーツを着て目立てば、それで就活すればピックアップされるのだ、という安易なものではありません。皆と同じ黒スーツを着ていても、その人と話したり、その人の書いたものを読めば、その人がどれだけ際立った存在かがわかるという何かを、大学生活を通じて探し、身につけるようにしてください。それは、周囲に合わせていればという受け身の姿勢では、身につかないものだと思います。

 今日皆さんに申し上げたいことを2点にまとめます。

 まず1点目は、これまで話してきたように、「みんながそうしている」に安易に流されず、自分で考え、行動してほしいということ。みんなそうしてるよ、そう言ってるよ、と言われたときには、そのみんなって誰、何を根拠にあなたはそう言ってるの、そのみんなの常識っていうのはこの先も変わらないことなの、と心の中で呟いてください。直接口に出すと人間関係を壊すので、心の中でつぶやくようにして下さい。

 もう一つは、これまでの話と矛盾するようですが、この社会でみんなが守るべきとされているルール、法律は必ず守ること、そして、この社会学部でこの学年にみんな最低とっておいてほしいとされている科目、単位数は極力取得してほしいということです。それは、先ほどしてもらった宣誓の中で述べられていたことです。

 私たちは、みなさんが無事に4年後、納得のいく学生生活を送り、卒業式をむかえられることを願っています。もちろん、自分で考え、選択し、これこれこういうことをしたいから長めに大学にいるという人がいてもよいと思いますが、基本的には4年間です。4年後の卒業式のときは、もう少し、皆自由にカラフルなかっこうをしていると思いますが、ここにいるみんながそろって、喜び勇んで次のステージに進めることを社会学部教職員一同、心から願っておりますし、それをサポートできればいいなと思っています。みなさんのこれからのがんばりに期待しています。

 最後に改めて、みなさん、本日は誠におめでとうございます。

 以上をもちまして、私からの祝辞といたします。ご清聴ありがとうございました。

 

 

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 昭和の時代の、自身の大学生時代の話をしたので、ついでにテレビで見かけたレモンライス。別に大阪市大生ではなかったけど、杉本町には実によくいた。

 

 昨日は大学の入学式、学部宣誓式、会議、打合せ、飲み会。

 今日は面談やジムなど。