60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

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登校して教務など。zoomでのゼミや面談の予定もある。

 

2年後、社会学系の大学院にて、zoomのエスノグラフィーといった修士論文が多く提出されるのではないかと、予想。

そして、たぶんそこでは、Erving Goffmanの表局域・裏局域概念が多用されているのではないかと、予想。

なぜ、自宅の自室でzoomできたとしても、可能な限り学校の研究室でやりたいと思うかというと、

たぶん、私的な空間である自宅で、公的な空間での振る舞いをしたくないからではなかろうか。

原付で数分の移動の中で、自分の中の何かが変わっているのだと思う。

zoom飲み会をとか言われたら、歩いてでも研究室に行きたくなるかもだが、そもそもキャンパス内は禁酒だし。

 

「野ぶた。をプロデュース」特別編を見たり、息子に言われて「富士ファミリー」のDVDを見返したりしていると、

この状況下では木皿泉的な肯定形のメッセージ「(誰もが)ここにいてもいいよ」が、刺さるんだろうなぁと思ったりもする。

過去のコンテンツの方がうけがいい、最低限の出演者で番組は回る、ひな壇やコメンテーターって本当に必要だったのか、オンラインでエンタメしようにももうそこはレッドオーシャン。飲食店なども店を開けても誰も来ない、無理に開けると店名が公表されかねない。いつも時間をつぶしていたショッピングモールや図書館が閉まってる、勤め人も自分が出社しなくても何ら問題が生じないという目をそらしてきた現実を突きつけられる、バイトや非正規雇用者は仕事が無いから来なくてよいといわれる、この状況下ネズミ捕りを命じられてる警察官は普段以上に違反者に毒づかれることだろう、医療従事者やインフラ系など一部の職種以外は自身を不要不急な人間だと思いかねない……

まぁ人文系の大学教員は、社会から「不要不急の人」視されることに慣れてはいるのだが。

しかし木皿泉は、下手すれば臭くなる「(誰もが)ここにいてもいいよ」というメッセージの発し方がうまい。

いや、もっとストレートな相田みつを的な話法の方が、需要が多いのかもしれないけど。

 

「富士ファミリー」の再放送とかないのかねぇ、と息子に言うと、第2部は無理、東出昌大が出てるから、とのこと。

羽生善治を演じた時の東出昌大や「ピュア!~一日アイドル署長の事件簿」は、よかったけどなぁ。

 

藤田孝典『棄民世代』SB新書、2020