60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

チェリーボーイズ

f:id:sidnanba:20201109125557j:plain

某坂改名後、変なファン呼称つくことにならんといいがなぁ、みたいなことを以前書いた。
アンチ系のまとめサイトなどは、チェリーボーイズ呼称の定着をはかっているよう。
女性ファンも多いと思うのだが、アンチ系サイトは、そこに集う人すべてが男性という前提となってる気がする。

 

でもまぁ、チェリーボーイズでいいんじゃないのと思ってしまうのは、たぶんこのバンドのせい。
キャロル、クールスのような名前の残り方はしなかったけど、佳曲けっこうあったなぁ。
1970年代、ロックンロール・リバイバルの頃。

 

奥村隆編『作田啓一VS見田宗介』弘文堂、2016

 

大学の教養時代、作田先生の「社会学」の単位を取得し、専門にあがってからも中久郎先生「社会学」の単位も得ているはずである。
にもかかわらず、両先生の顔がまったく思い出せない。その頃の私は、社会学専攻の学生といえば、ウェーバーを原書で呼んでる人たち
くらいにしかイメージできない、日本史専攻の学生だった(まだ国史という名が残っていた)。
その後、会社員となり、なぜか社会学関連の本をパラパラと眺めるようになった20代後半から30代にかけて
作田本・見田(真木)本のだいたいには目を通したと思う。面白いなぁとは思いつつ、精神分析や自我論の深遠さとか、比較社会学の壮大さにはついていけず…
その状態は今も変わらないが、見田宗介先輩(高校の)が堺市立図書館に通っていた件は、かなり懐かしい。
小学生の頃、旧堺市内(現堺市堺区)にまだあった市立図書館に、バスで通ったりしていたので。
その後、図書館は古墳群の辺りに移転となり、こちらが中学・高校の時分には自習室をよく使わせてもらった。
しかし、開口神社近くにあった旧市立図書館で勝尾金弥など歴史もの児童文学を借りたり、
高校時代の部活(史学部)で新市立図書館で調べものしたりの経験がなかったら、大学時代に日本史とか専攻してなかった気がする。
(新市立図書館と書いたが、この前行ったら、かなり老朽化していた)
日本史専攻の大学生時代、じつは「見田石介著作集」は全巻購入し、一通り目を通したはずである。
まだ歴史学専攻の学生は、資本論がわかっているフリを、一応しなければならない時代だったので。
その際、見田石介は不必要に衒学的でもイデオロギッシュでもなく、わかりやすく解題してくれるありがたい人、といった印象だった。
見田石介著作集、とうの昔(たぶん大学卒業時)に売り払ってしまったけれど。

 

結論的には、昭和(70年代~80年代)は遠くなりにけり、ということで。