60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

あの頃。

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これを松坂桃李主演で撮るか、今泉力哉監督!? と思いながら、読んでみる。
大阪阿倍野で、ハロプロオタ(松浦亜弥の頃の)たちが、群れ集っていた頃の青春譚(といっても皆20代後半あたり)。
この大阪市大的な空気感は、大阪公立大になっても残ってほしいものだと思う。夏爐的な、天王寺止まりの阪和線的な。
公開されたら観にいきたいが、西宮ガーデンズとかでもやってくれるんだろうか。

 

5年(学部長4年、特別研究期間1年)のブランクを経て、来春から講義科目に復帰するため、まず春学期担当科目の初回(ガイダンス)をざっと文字にしてみる。
まぁ、話す内容がいちおう可視化されてるという安心感。これでいいのか、うねうね考えながらシラバスに落とし込んでいこうと思う。
でも、来年度秋学期の担当科目シラバスの締め切りも、来年1月中旬というのはなんとかならんもんかと、つくづく思う。
しかし、学部長やったのでそうなる理由はわからなくもない。が、今は一教員に戻ったので、文句をたれる。
PDCAどころか、C以前にPを求めるのはいかがかと。

 

文字にしてみたのは、不安解消のためでもあるけど、いつオンデマンド型になってもよいように準備しとくべきかとも思ったので。
来年度対面授業復活が、大学の基本方針のようだけど、密を避けての教室確保の観点とか、今後の感染状況がどうなるかわからないので、
オンデマンド型にいつでも対応できるように、心積もりしとかないといけないのだろう。
zoomウェビナーなど講義科目と相性いいと思うのだが、そうではなく、オンライン授業となった場合は、オンデマンド型となる模様。
毎週one driveにあげた教材に、学生たちが随時アクセスする方式。ただし教材は、文字だけではなく、音声や映像によるものにせよ、みたいな縛りもあるとかないとか。

なんじゃそれはと、心底思う。
出版物をpdf化した、ありものの教材をあげといて、なんかレポートやリアクションペーパーをネットで提出せよを14回繰り返す
ということなら、問題視されても仕方ないとは思う。しかし、オリジナルな原稿(話せば1コマ分くらいになる)を毎回教材としてあげて…
ということなら、無理に音声化・映像化しなくても問題なかろう。学生にとっても長めの文章を速読する訓練にもなるだろうし。

オンデマンド方式になった場合、音源・画像・映像などの参考資料の提示の仕方も、いろいろ問題になってきそう。
この前、ポピュラー音楽学会の著作権ワークショップをのぞき、オンライン学会発表における音源利用の話を聴いたりもした(ウェビナーで)。
教育目的の使用に関しては、コロナ特例があるやにもきくが、クローズであってもドライブにあげるとなると
いろいろ考えなければならなくなりそう。ダウンロード禁止設定も可能かもなのだが、YoutubeなどでのURL貼れるものは貼って
そこにとんで見聞きしてもらうしかないかとも思う。が、つねに安定的にアクセスできるかは、非常に不安。
こちらは「ポピュラー・カルチャー論」や「広告文化論」担当なのである。音源・映像・画像資料を使わずに、講義が成立するはずもない。
といったことを、ツラツラ考えていたところに、『あの頃。:男子かしまし物語』である。

 

ヘンな読後感かもしれないが、大学ってこういうことだよなぁ、と思う。
アイドルのオタ活、推し事に膨大な精力を割き、仲間とトークイベントやったりする文化祭ノリ(ただし男子校)。
もちろん、『あの頃。』の登場人物たちは学生ではなく、働いてたり、働いてなかったりなのだが。

 

大学(4年制)とはと考えたとき、1)キャンパスという空間、2)4年間という時間、3)卒後何者かになるためのカリキュラム、の3者から成り立つ何かだと思えてならない。
「3)=大学」だ!、他は余計な夾雑物でしかない、という論調も強いと思うが、現実に卒後の職業が前提とされているのは
看護学部くらいなのではと思う。医学部・薬学部は6年制だし、工学部なども修士まで行けば、それ関連の職を得ることも多いだろうけど。
教育学部を出た学生がすべて教職に就くわけではない。大学校ですら、100%その道に進むわけでもない。


何者でもない、ハロプロオタでしかない若者たちが、やがて何者かになっていく物語として『あの頃。』を読んだ。
(何者かになることの、喜びも哀しみもひっくるめての)
だからこそ病で夭逝し、何者ともならなかった仲間の存在が、大きな意味を持ってくるんだろう。
何者かになろうとするふんぎりをつける時間を過ごすこと、同様にあがいている人たちの居る空間に身をおくこと。
私にとって、大学とはそういうことだった。
文学部日本史専攻にて、一時期けっこう本気で研究者になろうと勉強したし、高校教員採用試験も受けたのに、新卒で広告代理店に就職し、今は社会学部の教員となっている。
そして、いまだに何者にもなれていない気がする(父にはなれたが)。
だが、仮に何者かであることを続けていれば、何者かではあり続けられるような気もしている。
【参考文献】朝井リョウ『何者』新潮文庫、2015年/般若『何者でもない』幻冬舎、2018年

平松一夫理事長のご冥福をお祈りいたします。
(昨日、宅八郎さんと並べるのはためられたため、今日あげます。でも、ハロプロオタからの流れというのもいかがなものか)

 

bilibiliにあがっている杉山勝彦氏インタビューを観る。
中国からわざわざ日本まで取材に来たのだろうか、乃木坂ファンらしき二人の青年がインタビュアーとして1時間ほど。
かなりつっこんだ話も出て面白かった。杉山氏のもとにも、最近中国から作曲依頼が来ているとか。mixi全盛だった『あの頃。』とはまた時代が一つ違うんだろうなぁ。