60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

探求したい人が、探求したいことを

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あいかわらず自宅から投げると、縦横コントロールできない。

 

今朝の朝日新聞から。
知識だけではなく、思考力や自発性を涵養する方向で教育を変えていき、独創的な発想で新たなビジネスを生み出す、タフなグローバル人材を育成…
という路線(=経済界の意図)はまぁ理解できる(が、それが入試に落とし込めなくて、混迷したことは記憶に新しい)。

記事のほうは、高校での探究活動を前提とした公募制推薦入試に、好意的にフォーカスしている印象。それも、まぁわかる。
だが、高校生皆が皆、「探求」する必要もないんじゃないの、とも思う。一律に探求をさせようとすると、テンプレートの「探究」が量産されるだけだろうし、公募制推薦狙いの、生徒の内発的意志にもとづかない「探求」が蔓延りそうにも思う。

人間、オリジナリティやクリエイティビティを義務として、毎度毎度要求されることほど、しんどいものはない。好きなことを好きにやってて、時に何か突き抜けたところまでいく生徒がいたらいたでいいし、突き抜けない生徒に「ダメ」とレッテル貼る必要もない。生徒の多様性を伸ばすとの名目のもと、多様であることを強制するのは、かつての管理教育以上にたちが悪いと思う。

 

ある程度、入試形態・種別にバリエーションをもたせつつ、できるだけ多面的に受験生を評価しようとは努力する…
みたいな当たり前なことを、当たり前にやっていくしか方策はなかろう。

 

大学入試(高大接続)改革(しようとして頓挫した)の混乱のプラス面(私個人的な)をあえて挙げると、今の2年生の指定校推薦組はけっこうよいのでは…という体感はある(もちろん、皆が皆、というわけではないが)。
どうなるかわからない入試改革につきあってられるかい!というのも一つの見識だったと思う。

知的探究心旺盛な子がいて、基礎学力を着実に身につけた子がいて、まぁなんだかよくわからないがたくましい子がいて、いろいろな学生がいてほしい。もちろん、さまざまな美質を兼ね備えている学生というのが理想だが。

 

今日も教務もろもろ。