60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(42)戦後名古屋サブカルチャー史

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(42)戦後名古屋サブカルチャー

 

 

 長坂英生編『写真でみる戦後名古屋サブカルチャー史』(風媒社、2023年)から、アメリカからの文化的影響を拾っていきます。

 

・1949年12月21日「笠置シズ子と「名古屋ブギー」」

 

占領期を過ぎると

 

・1958年3月29日「熱狂のロカビリー名古屋公演」
40p「昭和33年2月に東京で開催された「日劇エスタンカーニバル」で火がついたロカビリーブーム。名古屋での初公演は同年3月29日、納屋橋にあった名古屋アイスパレスで開催された。その歴史的イベントをレポートした名タイ記事によると―。/住吉尚とワゴンエース、山名義三、寺本圭一が次々に登場。踊る、飛ぶ、果てはベースの上に乗っかって演奏するが満員の会場は一向に盛り上がらない。それでも演奏のピッチが上がると観客もざわつきだし、「ロカビリー3人男」のひとり、ミッキー・カーチスが現れるやテープが飛び、ハンカチが飛び、クラッカーが鳴り出す。ついにハイティーンの少女が3人、4人と舞台に上がり、カーチスを追っかけ、逃げ回る彼を抱きしめて手を握り、キスの嵐…。/カーチスは「反響は東京も名古屋も変わりませんね。東京だってステージに上がってくるのは5,6人だけですよ。でも、ここは初めてだからシゲキが強すぎたかも」とさらり。ロカビリー旋風は4月になると早くも下火になったとか」

 

・1960年12月「テレビ西部劇と貿易自由化でガンブーム」

・1962~63年「「注・踊りすぎると腰が曲がります」~ツイスト熱狂」

・1965年「ザ・ベンチャーズ来日とエレキ・ブーム」

・1968年4月「サイケブーム」

・1969年7月21日「「人類、月に立つ」でアポロブーム」

・1969年「フォークソングと若者たち」

・1970年9月30日「元祖・ストリーキング~名古屋の街を全裸で駆け抜けた表現者

・1971年春「アメリカン・クラッカーが大流行」

 

・1971年春「ジーンズ・ブーム」
129p「昭和46年、若者たちの間でジーンズの人気が爆発した。中区栄の百貨店・オリエンタル中村(現・名古屋三越)では昭和46年春から急激に売れ始め、「ジーンズコーナー」を設置したところ前年の2~3倍の売れ行き。客は圧倒的に高校生、大学生などの若者(うち女性は40%)で、「ビッグジョン」などブランドを指定して買う人が多かった。オーバーオールやデニムのスカートも良く売れて、カラージーンズも登場した(写真上)。/ちなみに写真下は昭和31年、ジーパンで栄町を闊歩するカップル。日本の若者がジーパンをはくようになったのは米進駐軍の払い下げが出回った昭和35年ごろで、写真の2人は当時としては最先端のファッションだった」

 

・1971年春「フライングディスク登場」

・1971年秋「アメリカ生まれのニコニコマークが大流行」

・1978年7月22日「映画「サタデー・ナイト・フィーバー」公開ディスコブームヒートアップ」

 

その他、年代は特定されていないものの「ジャズとライブハウス」「尾張名古屋のバニーガール事始め」などの項目もあり、1980年には「久屋大通公園竹の子族とロックン・ロール族」などとある。一方、ブリティッシュ・インベイジョンにあたるのは、

 

・1966年6月「ビートルズ来日」

・1977年9月26日「ベイ・シティ・ローラーズ公園に名古屋娘熱狂」

 

あたり。一つの地域を取り上げてみても、時期により強弱はありつつも、終戦後から昭和いっぱい、ブームやヒットはアメリカ由来が圧倒的であったことがわかります。

 

みの『にほんのうた:音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』KADOKAWA、2024