久保友香『ガングロ族の最期:ギャル文化の研究』イースト・プレス、2024
175p「「ファイヤー通りのメルス・クラブ。そこがたまり場だった。」/ファイヤー通りとは、渋谷駅から隣の原宿駅方面に、七、八分歩いたところから始まる、渋谷消防署がある道だ。/「サンデービーチがあって、文化屋雑貨店があって、その辺りの建物の二階にあった。ピンボールが置いてあって、アメリカのバーのような雰囲気。」/将造さんは、「湘南」に引っ越す前、「東京」の中学生だった頃から、そこに通っていた。/「メルス・クラブの由来は、『アメリカン・グラフィティ』に出てくるメルズ、ドライブインかもしれない。」…「1962年の夏、あなたはどこにいましたか?」というキャッチフレーズが掲げられたとおり、物語の設定は1962年。カリフォルニア州の小さな町を舞台に、高校を卒業したばかりの若者たちが過ごす最後の夏の夜を描いている。メルズ・ドライブインは、その中で、若者たちが度々集まるアメリカンダイナーの名前だ」
190p「(1980年前後)「メルス・クラブ」のあったファイヤー通りで、「ロックンロール」や「フィフティーズ」をテーマとした洋服店を開いていた、ファッションプロデューサーの小田原重秋さん(以下、シゲさん)に話を聞いた。/現在は、渋谷駅から道玄坂を上がったところにある百軒店というエリアでバーを開いている。バーの営業が始まる前の午後、近くの喫茶店まで来てくださった。ジーンズにTシャルにジャケットにキャップ。「フィフティーズの映画」の登場人物のようである。/シゲさんがファイヤー通りに店を開いたのは、1975年。「メルス・クラブ」は、そのあとすぐにできたという。/「隣の隣りくらいにできた。まだバドワイザーが日本で流通していない時。わざわざ横浜の本牧PXに買いに行ってた。だからすごく高いだけど、みんな飲んでいた。」…店で扱っていたのは、若者向けのユニセックスの服。半分がアメリカからのインポートの古着、半分がシゲさんによるオリジナルのデザインの品だった。/シゲさんはなぜ「ロカビリー」をテーマにしたのか。/シゲさんが「渋谷」に来たのは1970年。1950年生まれのシゲさんが、20歳の時である。/「青森県三沢の出身。三沢基地を囲む金網を見ながら、ずっとアメリカに憧れていた。そのまま田舎にいたら、農家や左官屋や大工になるしかない。歌手か絵描きになろうと思って上京した。」」
昨日はこちらも日帰り上京。