あいかわらず雑な書影で、もうしわけない。
足の指やウシジマくんは、写りこむべきではない。
さて、佐藤卓己さんよりご恵送。
あいからずの仕事量。すごい。プロダクティブ!
今回は岩波書店のPR誌「図書」のメディア史。
図書の未来について、いろいろ考えさせられる。
さらには、かつては読書とセットとなっていた
「教養(主義)」についても考えさせられる。
最近の個人的な感慨としては、もう図書とか言わなくて
「コンテンツ」でいいんじゃないの、という気がしている。
コンテンツの物質的な形態の一種としての図書、書籍。
コンテンツに盛られる要素の一つとしての、文字、文章、活字。
教養にしても、オーソドックスな意味でのそれとは違っていても
別の形の教養(読書と必ずしも連結しない)もあっていいように思う。
いろんな形の教養があっていい、と言っておかないと
大学(とくに人文社会科学系)は、政財界が強要してくる教養を、
学生に強要する機関・装置となってしまいかねない。
「きょうよう」と入力したら、まず共用と変換されたが
共用とか供用とかできる教養ということを考えたいもんだと思う。
それは、図書・書籍・活字・古典などだけが関わるものではない。
と言いつつ、自身は本好きなわけで。多くの図書費使ってるわけで。
でもそれは、自分に音楽・映像・パフォーミングアーツなどの才能が
なかったから。スポーツなど、体はった生業も無理っぽかったから。
文章書くことは、まだまだホワイトカラーの必須項目だろうし
入試制度の改革は、さらに文章を書く力を要求してきそうだし。
まぁありがたいことに、わが家の子どもたちは、岩波ではないけど、
本好きに育ってくれている(DSと「あたしンち」も好きだけど)。
ともかく、紙のみの出版業は、もうすぐ終わるだろう。
読書用のタブレット類がもっと安価になれば、
PCのモニターの脇に数台並行表示しつつ仕事する日が
もうすぐ来そうな気がする。そうなるまで、働きたいものだ。
今日は院ゼミ、面談。その他、校務・授業準備などもろもろ。