60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

恵送御礼


あいかわらず雑な書影で、もうしわけない。
足の指やウシジマくんは、写りこむべきではない。


さて、佐藤卓己さんよりご恵送。
あいからずの仕事量。すごい。プロダクティブ!
今回は岩波書店のPR誌「図書」のメディア史。


図書の未来について、いろいろ考えさせられる。
さらには、かつては読書とセットとなっていた
「教養(主義)」についても考えさせられる。


最近の個人的な感慨としては、もう図書とか言わなくて
「コンテンツ」でいいんじゃないの、という気がしている。
コンテンツの物質的な形態の一種としての図書、書籍。
コンテンツに盛られる要素の一つとしての、文字、文章、活字。
教養にしても、オーソドックスな意味でのそれとは違っていても
別の形の教養(読書と必ずしも連結しない)もあっていいように思う。
いろんな形の教養があっていい、と言っておかないと
大学(とくに人文社会科学系)は、政財界が強要してくる教養を、
学生に強要する機関・装置となってしまいかねない。
「きょうよう」と入力したら、まず共用と変換されたが
共用とか供用とかできる教養ということを考えたいもんだと思う。
それは、図書・書籍・活字・古典などだけが関わるものではない。


と言いつつ、自身は本好きなわけで。多くの図書費使ってるわけで。
でもそれは、自分に音楽・映像・パフォーミングアーツなどの才能が
なかったから。スポーツなど、体はった生業も無理っぽかったから。
文章書くことは、まだまだホワイトカラーの必須項目だろうし
入試制度の改革は、さらに文章を書く力を要求してきそうだし。
まぁありがたいことに、わが家の子どもたちは、岩波ではないけど、
本好きに育ってくれている(DSと「あたしンち」も好きだけど)。


ともかく、紙のみの出版業は、もうすぐ終わるだろう。
読書用のタブレット類がもっと安価になれば、
PCのモニターの脇に数台並行表示しつつ仕事する日が
もうすぐ来そうな気がする。そうなるまで、働きたいものだ。


今日は院ゼミ、面談。その他、校務・授業準備などもろもろ。