神木隆之介キュン。
昔、神童とは、こういう子を言うんだろうなぁと思った記憶がある。
フェイスブックを眺めていて
「あれだけ入れ替わってって、3年ズレてるのに気づかないはずないやろ〜」
とあった。違和感を覚えた人が、他にもいたことに安堵。
観た後、あ、これあれだ、Z会だ、あっちの方がスッキリしてたし
都会の男の子と田舎の女の子がつながることに、必然性があったなぁ…
加齢のせいか、このややこしい設定についていけんぞぉ〜
みたいなことを感じた。ほしのこえやZ会にはキュンキュンなれたのに
う〜ん、今回はなぁぁ
やっと巡りあえたのに、相手は実はすでに死亡していた…
みたいな話の方がしっくりくるのだが。
このアンハッピイエンド志向ないし嗜好は
アメリカンニューシネマ小僧だった後遺症のような気がする。
絶望的な状況に、ちょっとだけ光ないし灯りを残しエンディング
ってパターンがやたら多かったよなぁ、70年代コンテンツ。
不幸がデフォルトだったディケードと言えば、言い過ぎかもしれないが。
神木隆之介の桐山零って、どんな感じになるんだろう。
桐山よりも桐島の方がしっくりくるのでは、とか思ったが
よく考えれば、桐島って役名じゃなかった(というか桐島登場せず)。
意外と桐山照史の桐山零はアリなんじゃないかとも思う(髪型変えれば)。
桐山零の子供時代を、子役だった頃の神木隆之介で観たかった気もする。
不幸な境遇にある賢い子供を演じさせたら、神木の前に神木無し
神木の後にも神木無しだと思う(これも言い過ぎか?)。
『3月のライオン』、けっこう不幸かつ怖い話しだぞぉ
昨夕のNHKの番組で松井玲奈は「悪い人は一人も出てこない」
みたいに言ってたけど。
今日はチャペル、面談や会議など。暴風警報が出なければ…