43p(岡晴夫『東京の花売娘』)「この歌のなかでの東京は、「青い芽をふく 柳の辻」であり、そこはいましも「月も新たな 春の宵」で、そこでの都会情緒は、「ジャズが流れる ホールの灯影」だ。そしてそこには、「粋なジャンバーの アメリカ兵の 影を追うような 甘い風」が流れていた。…そして「粋なジャンバー」とは、アメリカ空軍の飛行機乗りたちに支給された、革のフライト・ジャケットのことだ。正しくはジャンパーだが、岡晴夫以後にこの歌を歌った歌手たちの誰もが、「ジャンバー」と歌った」
174p「フランク永井がレコード・デビューのために選んだ『恋人よ我に帰れ』という歌は、この日本語題名のまだなかった頃、キャンプまわりをしていた日本のミュージシャンたちにとっては、使い込んでぼろぼろになったノートにコード進行と基本メロディをメモし、耳で聴いた英語の題名をカタカナで可能な限り再現して『ラバカンノバクツミ』などと書き添えたスタンダード・ナンバーのひとつだった」
229p(1955年、マヒナ・スターズ加入の松平直樹談)「その頃はマヒナ・スターズなんて言ったって、知ってる人はごく僅か。仕事だって名前と逆でヒマなスターズ。主にアメリカの兵隊さんのクラブでしたが、飲んだり食べたりしながら騒いでいる連中(奴さん達は、どなりつけたい位よくしゃべる)を前にして唄うその味気なさ、つまらなかったです。所がよくしたもので、週に一回(たしか水曜でした)ワックといって女の兵隊さんの宿舎で仕事がありました。女の兵隊さんと言っても、夜は軍服なんか野暮なものは着てません。ドレスかなんかでカクテル・グラスをかたむけて、静かに、我々の演奏をきいてくれるんですから、こりゃ誰だってうれしくなります。だから、水曜日が来るのが待ち遠しくって、待ち遠しくって、全員」/ワックとはWACと書き、これはウィメンズ・アーミー・コーズの頭文字だ」
Women’s Army Corps。Corpsをコーズと表記するあたりが、さすがテディ片岡。