流れに沿って、裏原宿話です。
原宿という駅名はあれども、町名はありません。
ましてや裏原宿。「俗称」でしかありません。
行政区分的には神宮前3・4丁目界隈のことです。
今言うところの裏原の、そのメインストリートは、古くは「おんでんなかどおり」。
70年代の『an-an』などでは、「セントラルアパート裏通り」等とも呼ばれていました。
その頃(から)の注目店と言えば、MILKとGoro's。
もっと246寄りには、数坪のコムデギャルソンとか、BIGIなど。
でも、やはりこのあたりで注目すべきは、「ブティック竹の子」でしょう。
その後、「ハミングロード」と呼ぼうという動きもありましたが、定着せず。
アメカジ〜渋カジの名店「プロペラ」に由来する、「プロペラ通り」の方がまだ有名です。
無理はよくありません。
アメリカ村に対抗して、ヨーロッパ通りとか言ったところで、今は結局「東心斎橋」です。
裏原(宿)の言葉が浮上し、定着したのは95年以降のこと。
popeye、asayan、smart、men's non-noあたりの功績だと思います。
♪原宿表参道のお嬢さん〜(中略)
アンアン、ノンノ、わかっているのかな
アンアン、ノンノ、わかっているのかな
だけど、私の、知ったことじゃない〜。
中山千夏作詞・唄、佐藤允彦作曲・伴奏…。当時夫婦…。
この曲(たしかタイトルは「原宿表参道のお嬢さん」)、どっかに音源残ってないですか。
私は中学時代、「允彦千夏のあなたまかせ」(角川書店提供)というラジオ番組に淫してました。
その頃、小遣いためて買ったアルバムが、矢野顕子と高田渡です。
これでは、同級生と、話しあわね〜。