生恵幸子師は、大往生だったとして、
渡辺和博さんは、あまりにも早すぎる‥
1984年に「コピーライター」という肩書きの名刺をもらった頃、
『コピーライターズ・スペシャル』という雑誌があり(たしか神足裕司編集長)、
何気なく読んでて、コピーライターの「○金・○ビ」というコーナーに衝撃を受け
抱腹絶倒した記憶があります。その後、この企画(格差社会!)はベストセラーとなり‥
あと、ちょうど1984年に創刊のクルマ雑誌『NAVI』で渡辺さんが打ち出した
「エンスー」という言葉も懐かしいものがあります(バブルへGO!)。
そして『ホーケー文明のあけぼの』や『おたく玉』、『○和式マーケティング』‥
ズルムケのおっさんになっていくのではなく
どこか青臭さを残しつつ、おたく性をひきづりながら齢を重ねていく20代、30代男性像。
汗牛充棟のおたく論の中にあって、ひときわ秀逸だったと思います。合掌