60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

アメリカ関連抜書45

昭和の雑誌。熱気ムンムンのソウル…

 

坪内祐三『ストリートワイズ』晶文社、1997

「「本場(アメリカ)」という他者が消える時」

135-6p「私にとってアメリカとはまずディズニーであり、プロレスであった。これは、けっして比喩的な意味で言っているのではない。そして、これはまた、どちらかに優先順位をつけることもできない。サブリミナルのように、この「二つのアメリカ」は、物心つく前に、いつの間にか私の中にすりこまれていたのである。1960年代に小学校時代を過ごした、東京のごく普通のテレビ好きの子供だったなら、このことに同意してくれるだろう。
 そう、そのころは毎週金曜日の夜8時、テレビの前に座る私たちの視線の先に、一週交代で、ディズニーとプロレスが映し出されていたのである。なんとポップでキッチュカップリングだったのだろうか!
 牛島秀彦の『もう一つの昭和史① 深層海流の男・力道山』(毎日新聞社)に、そういう番組構成によって、「ブルーカラーと、ホワイトカラーの両方をにぎろうとしたんです」という、当時の日本テレビ・プロデューサー京谷泰宏の言葉が紹介されているが、あの番組を一週間おきで、例えばプロレスだけを、あるいはディズニーだけを見ていた家庭などあったのだろうか。なんだ、今週はディズニーか、つまんねえな、とチャンネルを変える「ブルーカラー」や、まあぁ今週はプロレス、お下品ね、とスイッチを消す「ホワイトカラー」など、はたしてどれくらいいたのだろうか。
 1960年代はテレビの前の民主主義(アメリカニズム)が浸透し、一億総ブルー・ホワイトカラー化(あるいはホワイト・ブルーカラー化)が進んでいった時代である。東京の公立小学校に通っていた私の同級生たちは、もちろん両方とも見ていた。
 この金曜夜8時のプロレス・ディズニーのカップリングが、いつ始まり、いつ終わったか(気がつくと、いつの間にか、プロレス中継だけになっていた)、私は知りたいと思っていた。そして、最近読んだある本によって、その放映開始が1958(昭和33)年8月29日であることを知った。まさに私の生まれた年だ。ディズニーの番組(「ディズニー・ランド」)がいつ終了したのかに関する記述はなかったけれど、図書館に行って新聞の縮刷版のテレビ欄を、しらみつぶしに探していくと、それは68年2月16日のことだった」

 

マガジンハウス編『編集者の時代』マガジンハウス文庫、2009

村上龍『愛と幻想のファシズム(上・下)』講談社文庫、1990

禹宗杬・沼尻晃伸『〈一人前〉と戦後社会』岩波新書、2024

 

村上本。いつかは読まなきゃなぁと思っていた小説を、3泊4日の家族旅行中に一気読み。たいへん面白かったが、カンブリア宮殿的な村上龍とは、なぜか相性の悪さを感じていたのだが、その原因もよくわかった気がした。

禹・沼尻本。千歳空港で買って、機内一気読み。権利の承認から、価値の承認へというのもよくわかる話なのだが、価値観の多様化の中で、それはそれで難しい…、という読後感。