60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(10)「釣りバカ日記」から「漫玉日記」まで

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(10)「釣りバカ日記」から「漫玉日記」まで

 

 アメリカと「釣りバカ日記」。あまり縁がなさそうですが、以下は作者のマンガ家・北見けんいちの言です。

 

216p「アルバイトで思い出すのは、写真科の学生だった昭和35年頃に、成増にあったグラント・ハイツっていうアメリカ軍キャンプで皿洗いを1年間やったことだね。キャンプで働く日本人用の寮に入り、そこから学校にも通っていたんだ。だから1年間アメリカに留学したって気分だったよ。なにしろ、ゲートをくぐるとそこはもう外国って感じだったからね。手入れのよくいきとどいた青い芝生。舗装された広い道。赤い屋根の洋館。家と家の間が20~30mも離れてるんだ。キャンプ中には小・中・高の学校もあれば教会から映画館、スーパーマーケットと何でもあるんだよ。バス停も四つぐらいあったね。もう完全なひとつの町だったな。これが本当の文化的な生活なんだと感心したよ。昭和35年といえば、冷蔵庫、テレビ、電気洗濯機が三種の神器と呼ばれ、庶民の憧れの品だった頃で、ほとんどの人がバラックに毛の生えたような狭い家に住んでた時代だったからね。このアメリカの町は夢のまた夢みたいな気がしたんだね」(フロム・エー編集部+アルファトゥワン編『フリーター』リクルート フロム エー、1987年)

 

 グラントハイツは1947年から73年まで、東京都練馬区に存在したアメリカ空軍の家族宿舎で、現在の光が丘公園や光が丘パークタウン(大規模団地)一帯にあたります。今でこそ大江戸線光が丘駅がありますが、昔は東武東上線の下赤塚や成増が最寄り駅でした(米軍基地内への引き込み線もあって、啓志(ケーシー)線と名付けられていたとか)。

 成増出身の有名人と言えば石橋貴明がいます。ネットを検索すると、下赤塚出身の故尾崎豊と地元トークをする機会があり、二人ともグラントハイツ(跡地)で遊んだことがあるという話で盛り上がったとか。

 たしかに1965年生まれの尾崎には、「米軍キャンプ」(1985年「壊れた扉から」に収録)という曲があります。他にはラジオDJケイ・グラント(1959年生まれ)も下赤塚が地元で、芸名の由来もグラントハイツからだとか。

 さて、1961年生まれの石橋貴明ですが、同年生まれに桜玉吉がいます(私もそうです)。自身の日常を描く、私小説ならぬ、私マンガといった作風で、「漫玉日記」シリーズや「日々我人間」シリーズ(連載中)などがあります。生まれてから長らく都内(ないし都下)在住だった桜ですが、現在は伊豆に居住しており、「伊豆漫玉日記」「伊豆漫玉ブルース」「伊豆漫玉エレジー」などの単行本も出ています。その『伊豆漫玉ブルース』(KADOKAWA、2019年)に収録された四コマ・マンガ「前の車が」より(69p)。

 前の自動車のナンバープレートの下に「クルミが二個入った袋みたいな物をブラ下げていて」「犬のキンタマかよ!と思ったことがあったんだけど」「ホントにキンタマだった。アメリカのジョークグッズ「トラックナッツ」というらしい」。そして最後のコマには、「練馬のグラントハイツでアメリカ人の子供とプロレスごっこをして50年…少しは文化的に歩みよれてきてると思っていたが、やっぱりワカランアメリカンなツボ」とあります。

 1961年生まれと言っても(同じく本土で生まれ育ったとしても)、さまざまな基地経験(の有無)があるもんだと思います。そういえば、沖縄生まれの羽賀研二も同い年。いわゆる「アメラジアン」に関しては、また改めて。

 

 

 今日はゼミ説明会2回目や会議など。