60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

明日ママを観てみる


写真は、脈絡なく弁天池で見かけた鳥。


 現在ある民放局にて、番組審議委員やオンブズマンといった役職にある以上、たとえその局ないし系列の制作ではなくとも、ここまで議論をよんでいるのだから、やはり「明日、ママがいない」は観なければ…。また、広告論も自分の守備範囲である以上、ACコマーシャル乱れ打ちという事態を見逃すわけにはいくまい…。
 ということで、3話目を観た感想をアップします。


 まず思ったことは、オツボネの目を傷つけたのは、実の母(の過失)だったという今回のエピソードって、韓国映画「受取人不明(Address Unknown)」(キム・ギドク監督、2001年)からなのかなぁ、という点。あの映画(舞台は1970年代、韓国の米軍基地の町)では、子どもの頃、過って兄に玩具のピストルで撃たれ、片目を失明した女子高生ウノクが、眼を手術させてくれるという駐留米兵の恋人となり…といった設定だったけど。映画にもウノクが、ふだんは髪で隠していた片方の目を、人に見せつけるというショッキングなシーンがありました(ウノクの場合は白濁した瞳だった)。
 あと、今回、足は治っているのに車いすから立ち上がれない…というのは、「ずいぶんスパルタなハイジね」と台詞にはあったけど、私たちの世代は、それって「男組」じゃね?と受け取ってしまいます、はい。


下司の勘ぐりってヤツかもしれませんが、このドラマが企画・制作されたプロセスは
・昨年7月に朝井リョウ「世界地図の下書き」が出て、児童養護施設という設定に何かしら感じるところのあった企画者がいた
→しかし、「世界地図の下書き」を原作としてドラマ化したのでは、ほのぼの・しみじみとしたものにはなるがインパクトが…
→そう言えば、1990年代にシリアスなテーマを扱いながらも、高い視聴率をとったドラマ群があったよなぁ
→その路線で、さらにセンセーショナルな要素を加えていくために、いろんなものを参照して…


 そんなひねくれた受けとめ方をしてしまうのは、このドラマが自分の好みではなかったからなのだろう。
 こうしたセンシティブなテーマを選び、あえてcontroversialな表現をするのならば、作り手側にかなりの準備と覚悟があるべきなのに、それがどうも感じられなかったのだと思う。だから、企画の出発点は「世界地図の下書き」以降? などと邪推するのだと思う。児童養護施設を描くことに対する、思い入れや熱量、あえて訴えたい何かが伝わってきてしかるべきだった…、少なくとも私には伝わってこなかった…


と言いつつ、自分の役務や専門との関わりもあることだし、この番組を観続けることにします。このドラマに対する社会の反応というドラマの続きが気になるので。


今日は朝から校務、以後いろいろ用事をこなす予定。


平岡正明『人之初』彩流社、2012
植竹拓『渋谷(ピロム)と呼ばれた男』鉄人社、2013


お〜、MMこと宮下美恵さん、懐かしい。