60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(35)米軍キャンプの森光子

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(35)米軍キャンプの森光子

 

 米軍基地のクラブなどで歌った経験があるとされる歌手は、坂本九、小坂一也、フランク永井ペギー葉山松尾和子雪村いづみ江利チエミ伊東ゆかり、しばたはつみ、松原みきとさまざまですが、意外なことに女優森光子にもそうした時期がありました。

 

61p「つい少し前までは日本の兵隊さんの慰問をしておりましたのに、終戦の年の暮れぐらいからは米軍のキャンプで歌う仕事を始めたのでございます。/以後、食べるためにずいぶん米軍のキャンプを回って歌いましたが、最初はとても苦労いたしました。/なにしろ戦争中は英語の歌は禁止されていましたので、英語で歌える歌を知らず、有名な歌手のディック・ミネさんのお友だちで、ベティ稲田さんという、日系二世のジャズ歌手の方に特訓していただきました。/その特訓がそれは厳しゅうございまして、歌詞の「サウス・オブ・ザ・ボーダー」という言葉の、サウス(SOUTH)のTH(ス)の発音がだめだとずいぶん叱られましたが、頑張ったおかげで五、六曲は歌えるようになったのでございます」

62-4p「広~い食堂の、真ん中にぽつんとマイクが立っているようなステージで「お買いなさいな、お買いなさいよ~♪」という、「小鳥売りの歌」を歌っていたときのことでございます。向こうから大きな黒人兵がノッシ、ノッシと歩いて来るのです。/怖いのをがまんして歌い続けておりましたら、私の十メートル近くまでやって来て、「スイング、スイング」と言うのです。/要するに、スイング、体を動かして歌え、ということでございました。私はまっすぐに立って歌っているだけでしたので、ああ、そうか、と気がつきまして、足をルンバ調に踏んで、「お買いなさいな♪」と歌いましたら、それを見て、黒人兵は「グ~!」と、手をかざして言ってくれました。/戦争中、アメリカ兵は鬼だと教えられていましたのが怖かったのですが、それは戦意を高めるための嘘だったのでございますね」(森光子『あきらめなかったいつだって:女優・半世紀の挑戦』PHP研究所、2011年)。

 

 

 しかし、この森光子自伝はインタビューによるものなので、いろいろ記憶違いもありそうです。

 

65-6p「ある日、いつものように銀座へ出かけましたら、四丁目にすごい人だかりができています。何かと思い、「何を売ってるんですか?」と聞いてみますと、「違いますよ。あれをご覧なさい」と言われ、見てみますと、米軍のMPが交差点の中央で交通整理をしているのです。/笛をビ~、ビッ、ビッビと鳴らし、とてもかっこ良くて、何かダンスを踊っているみたいに素敵で。思わず見惚れてしまいました。よく見ますとなんと、そのMPはハリウッド・スターの映画俳優タイロン・パワーなので、もうびっくりいたしました。/とてもいい男で、清潔感があってスラリと背も高い彼が、真っ白な手袋に、まっすぐな線が入った白いスパッツ(ズボン)姿で、キビキビと交通整理をしていたのです。それはスマートで、胸がキュンとなるほど素敵でございました」森光子前掲書

 

 たしかに、当時のニュース映画には、日本でのタイロン・パワーの姿が残っています。

www2.nhk.or.jp

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001300573_00000&chapter=006

 ですが、これには、以下のような考証もあります。

 

195-6p「タイロン・パワー【たいろん・ぱわー】 朝ドラ『梅ちゃん先生』で終戦直後のニュース映画を使用した時、年配の視聴者から「洋画スターのタイロン・パワー(一九一四~五八)らしき米軍人が写っているのでは」と問い合わせがあったが、その通り本人でした。さて、このタイロン・パワーについては「終戦後、進駐軍のMPとして銀座四丁目の交差点で交通整理をしていた」という伝説がある。しかしこれは事実ではなかろう。なぜなら、

➀パワーは確かに進駐軍将校として来日したが、海兵隊航空隊の少尉であって、交通整理を担当する陸軍のMPではない(終戦に関する連絡任務で、パワーの操縦する輸送機に乗ったことのある日本海軍軍人もいる)。「スターの一日署長」ならともかく、「一日交通整理」は危険極まる。
②滞日期間もごく短く、昭和二〇年一一月に本国帰還、翌年一月中尉で除隊している。③現存する『日本ニュース』では、「日劇前に立つタイロン・パワー少尉」(胸に海兵隊航空隊章をつけている)に続いて、「進駐軍MP、銀座で交通整理」の映像があり、両者が混同されたと思われる。

 なお、「子供の時、銀座の交差点で、MPのタイロン・パワーに抱っこされたことがある」と語る人(及び「という人の話を聞いたことがある人」)もいるが、上記からすれば「誰かよく似たハンサムなMP」をパワー本人と思い込んだことが原因だろう。あるいは本当に銀座でパワーに抱っこされたが、後で③を見て記憶が混乱したとか」(大森洋平『考証要集:秘伝!NHK時代考証資料』文春文庫、2013年)

 

 

 

今日も登校。インターネットでアメフトの試合聴いたり、片付け仕事したり。
ゼミ3・4年生、けっこう連れてってもらってるし、出せてもらえているようで何より。