60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

いつの間にやら


もうすぐ師走。


昨日は原稿改稿と論文指導みたいなこと。
今日は合宿準備と3年生ゼミなど。


水島宏明『内側から見たテレビ』朝日新書、2014
川上量生『ニコニコ哲学』日経BP社、2014


テレビの未来について、ぼんやりと考える。
動画や音楽を扱えない、テキストベースの人間にとって
発信のためのメディアは
掲示板→ブログ→ミクシィツイッターフェイスブック→ライン
と変遷して来たのだろうが、
自分の場合はブログ段階で止まり、そこから先に行く気はない
(一応、fbもLINEもやってるけど。mixiはもう見ていない)
受信するメディアは、圧倒的に紙の雑誌・書籍。いまだに新聞。
あとはネット、テレビ(地上波・BS・CSほぼ均等)、DVD・CD。
送受信(通信)するメディアとしては、基本eメール。


暇つぶしのメディアとしては、ネット(ゲームはしない)が最強で
何かを知り、知識をためおくメディアとしては依然紙の出版物。
(映画・番組などパッケージ化されたコンテンツはHD・CD・DVDで)
家にいて何となく気晴らし・暇つぶしのために
漫然とザッピングする機会は、週に1度あるかないか。
そんな自身の姿と照らし合わせてみると、
リアルタイムのテレビ視聴というのは
今後、細っていくばかりなのだろう。


だが社会的には、テレビの存在感はまだまだ大きい。
メディアの細分化の中で、共通の話題・ネタを提供してくれる機能
は健在。しかし、おおむねは叩く対象としてのテレビ(番組)。


でも、民放の無料のコンテンツにさほど多くを期待したり、
要求したりすべきではなかろう。もちろん、希少な電波の帯域を
優先的に割り当てられてきたがゆえの公共性は求められて当然。
だが、これだけ伝送経路が多様化した中で、
電波の圧倒的な地位もとうに揺らいでいる。


ふと、課金をしても許されるコンテンツ作りのノウハウは
実はNHKが積み上げてきたのではという気がする。
まず最初に、金銭的な負担を負うている顧客が
満足するコンテンツ(商品)づくりがあったうえで、
民間メディア各社はCSR的な役割にも配慮する…
というのが、もっとも無理のない今後のシナリオだろう。
もちろん短期的な損得勘定のみに振り回されるべきではないのだが、
それは他の業種、他の産業の企業各社にも当てはまること。
新聞社もテレビ局も、フツーの会社がフツーにやることを
フツーにキチンとやっていく。それ以上でも、それ以下でもなく。