60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(29)圧倒的な食文化としてのアメリカ

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(29)圧倒的な食文化としてのアメリ

 

 占領期、子供だった人たちの思い出は、つねに空腹と結びついています。1947年日本橋兜町に生まれた山口果林

 

「幼児期の思い出に、アメリカ兵の姿が色濃く焼き付いている。のちに姉から、証券取引所の立会場がGHQに接収されていたことを教えられて納得がいった。戦後生まれのわたしだが、物心ついたころも、アメリカ兵は身近な日常の一部だったのだ。アメリカ兵の制服と帽子、乗っていたジープ。お菓子も貰った」(山口果林『阿部公房とわたし』講談社、2013年、86p)

 

1943年長野に生まれた野上暁は

 

「小学三年生の時だから、一九五二年のことだ。九月二日の日記に、千曲川の河原にアメリカの兵隊が三〇台近くの車を連ねて来て、大きな釜でスコップを使ってご飯をかき回している光景を不思議そうに記している。…すでに、チョコレートやガムをばらまく時代ではなくなっていたからか、そういうことは、全く書かれていない。…米兵が、おもしろがってつきまとう子どもたちの足元に、ねずみ花火を投げつけたりしたのだ。人の家の屋根に投げあげたりもしていて大人たちもひやひやしていたが、だれもとがめだてはできなかった」(野上暁『子供文化の現代史:遊び・メディア・サブカルチャーの本流』大月書店、2015年、76p)。

 

 ミステリー小説の中でもアメリカンなケーキの思い出が、重要なカギとなっていたりします。

 

130p「戦後しばらく経ったころ、深草にはアメリカの進駐軍が駐留してました。今の『龍谷大学』に進駐軍の司令塔があったんやそうです。旧一号館図書館の二階ですわ。留学経験もあって、英語に堪能やった聡子さんは通訳として雇われはりました。そこで出会うた将校さんの家に招かれてホームメードケーキの作り方を教わらはった。最初は自宅でケーキ教室を開いてはったんですが、十年ほど前から、週に三日だけ小さな店をやってはった」(柏井壽『鴨川食堂おかわり』小学館文庫、2015年)

 

 当時の体験談に話を戻すと、もう少し年長の横山ノック(1932年、神戸生まれ)も、ハウスボーイ時代に

 

「テーブルに着き、かじりつこうとすると、ジャロリーがそれを制し、何やら得体の知らないものをぬりつけました。それがバターとシロップだと知ったのは後のことです。/おそるおそる食べて見ると――なんという味、なんという美味さ!! いや美味いなんて言葉はとてもおっつきません。この世のものとは思えないくらいの、まさに天上の極上の食べ物と形容した方がいいでしょう。いやいや、あの味はどんな言葉をもっても表現できません。/とろける甘さ、バターの風味、それに何とも言えないメイプルシロップの味わい――ぼくはこの時初めて「アメリカ」に触れたのです!/終戦以来、アメリカのおびただしい物量、巨大な機械群など、見るものすべてに驚かされてきましたが、正直に言って、この時のパンケーキの衝撃は、それらすべてを上回るものでした」(横山ノック『知事の履歴書:横山ノック一代記』太田出版、1995年、65p)

 

 そういえば同様にハウスボーイの経験のある野坂昭如の「アメリカひじき」(1967年)にて、紅茶の葉をひじきと勘違いする話を書いています。

 食のアメリカ化といえば、まずコカ・コーラ(Coca-colonization)やマクドナルド(McDonaldization)が引き合いに出されますが、同時にそれぞれの現地化(localization)もよく語られるテーマです。

 

429p「中国では、アメリカの帝国主義、資本主義的近代の約束、あるいは単純に風邪を治すための(生の生姜と一緒に煮る)飲み物ベースを意味することもありえる。この飲み物は単一の物質性を持つかもしれないが、何を意味するのかは特定の社会実践におけるその位置づけ(つまり、誰がどこでそれを消費しているのか)に依拠している。アイコン的瓶と独特の文字のデザインは世界的に識別されている事実ではあるが、一方で、コカコーラの国際的な地位を理解するためには、その物質性を超えて、物質性と意味が社会実践によって絡み合い、使用可能になった文化的なものとして扱われなければならないのである。/物質性が変化しうる意味と絡み合う別の例として、クリスマスの世界的成功が挙げられる。公的には無神論の国家である中国で、このキリスト教の祝祭がますます目立つようになってきている」
403p「グローバリゼーションを文化的アメリカ化とするモデルに関する第三の問題は、アメリカ文化を一枚岩的だと想定していることである。より用心深いグローバリゼーションの説明においてさえ、アメリカ文化と呼ばれるなにか単一のものをあきらかにできると想定されている。たとえば、ジョージ・リッツァ(1999)は、「グローバルな多様性を今後も引き続き目にするであろう一方で、そうした文化の多くが、ほとんどが、いやおそらく最終的にはすべてが、アメリカの輸出品に影響されるようになるだろう。アメリカが、事実上すべての人の「第二の文化」になる」(89)と主張している」(ジョン・ストーリー『ポップ・カルチャー批評の理論:現代思想カルチュラル・スタディーズ』小鳥遊書房、2023年)

 

 サンタクロースのイメージの普及が、コカ・コーラの広告図像と深く関連していることはよく語られるところです。また後者の引用の「ジョージ・リッツァ(1999)」は、Ritzer,G.(1999)The McDonaldization Thesis,London: Sage. (『マクドナルド化の世界:そのテーマは何か?』早稲田大学出版部、1999年)。アメリカンな食文化のグローバルな受容とともに、それぞれの地域に応じた変化を扱った本です(たとえば、テリヤキバーガー)。

 中華料理から日本で独特な発展を遂げたとされるラーメンも、

 

61p「日本でラーメンが復活したのは、アジアの同盟国に優先的に小麦の食糧援助を行うというアメリカの戦略的決定の結果だった。…アメリカ産小麦からつくられるラーメンなどの食品は、多くの日本人の飢餓を防ぐ重要な政治的機能を担った。さらに、小麦が到着したのは、日本当局とアメリカの監督者が行う食糧配給制度の機能不全と腐敗に対する抗議運動が頂点に達した、まさにそのときだった。当時、日本の共産主義指導者たちは、政府当局の食糧対策への大衆の不満を、共産党への支援に誘導しようとしていた。アメリカはこれに対して、ことあるごとに輸入小麦を宣伝し、アメリカは飢餓の時代の救済者だというイメージをつくりあげようとした」(ジョージ・ソルト『ラーメンの語られざる歴史:世界的なラーメンブームは日本の政治危機から生まれた』国書刊行会、2015年)

 

 人間の最も基本的な欲求のレベルでも、アメリカの影は遍在ないし潜在してるように思います。

 

 

 息子から映像専攻の必需品だから買ってとおねだりされたアイテム。

 

大澤昭彦『正力ドームvs.NHKタワー』新潮選書、2024