60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(30)結局「アメリカ」とは何なのか

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(30)結局「アメリカ」とは何なのか

 

 1stシーズンの最後にまとめとして、そもそも「アメリカとは」を問うておきます。
 20世紀、アメリカは物質的な繁栄の象徴でした。

 

287-8p「一八〇〇年頃のイギリスの世界制覇が、第一次産業革命の賜物だったように、一九〇〇年頃に際立ち始めた合衆国の世界制覇は第二次産業革命の結果として生じたのである。/この頃、ヨーロッパがアメリカについて抱くイメージが決定的に変化した。インディアン、森の人、野生の自然、旧世界からの逃亡者や移住者を吸収した広大な空間といったイメージから、摩天楼の図像学、自動車の大群、屠殺場、冷蔵庫、蓄音機、電話、ミシン、掃除機、日々刻々と何千もの製品を吐き出すベルトコンベア、そしてすべてを操作し支配するドルの億万長者へと変わったのだ。一九〇〇年頃には、『革のストッキング』とか『白鯨』などの作品は、古いアメリカを描く「ノスタルジー文学」となっていた。高く評価され、また多く読まれたのはアプトン・シンクレアの産業小説だった。この新世界は、同時にまたヨーロッパの著書によってもとりあげられて、多くの読者を獲得した。そして、これらの著書や評論のタイトル――『アメリカのエネルギー』『アメリカの挑戦』『世界強国アメリカ』『危険なアメリカ』『アメリカの未来』など――は、アメリカの脅威を如実に物語っていた。さらには、「アメリカ化」「アメリカニズム」といった新語が日常語の一部となり始めた頃には、「アメリカ」という語はたんに国を表す語であることをやめて、物質的、ニューリッチ、未洗練、悪趣味、アンバランス、といった否定的な意味に使われることが多くなっていった」(ヴォルフガング・シヴェルブシュ『敗北の文化:敗戦トラウマ・回復・再生』法政大学出版局、2007)

 

 資本主義を批判する側からのアメリカ論として。

 

107p「こんにち、アメリカ商標のもとで普及している「新しい文化」および「新しい生活様式」を構成する諸分子は、ちょうど手探りの最初の試みでしかないのであり、それらはまだ形成されていない新しい制度から生まれた「秩序」によるのではなくて、形成されつつある新しい制度と作戦行動(いまだ破壊的で解体的な)から社会的にはじき出されたと感じ始めている諸分子の表面的でサルのようなイニシアチブによるものである。こんにち「アメリカニズム」と呼ばれているものは、大部分が形成されるはずの新しい秩序によってまさに押しつぶされるであろう古い諸階層、すでに社会的パニック、解体、絶望の波に襲われている古い諸階層による予防的批判であり、再建能力がなく変革の否定的側面だけに訴える者の無意識の反動の試みである。再建を期待できるのは、新しい秩序から「断罪された」社会諸集団ではなくて、外部からの押付けにしろ、また自らの忍耐力によるにしろ、この新しい秩序の物質的基盤をつくりだしつつある社会諸集団である。言い換えれば、後者の社会諸集団は、こんにちでは「必然」であるものを「自由」へと切り替えるために、アメリカ商標でない「独創的」な生活体系を「発見」しなければならない、ということだ」(東京グラムシ会『獄中ノート』研究会編『アントニア・グラムシ獄中ノート対訳セリエ1 ノート22アメリカニズムとフォーディズム』いりす、2006(原著1934年))

 

 批判する側も、アメリカが強力かつ魅力的な「新しい文化・生活様式」、一つの「生活体系」と認識されていました。こうした知識人たちのアメリカ観と、以下の「アメリカ」という曲の歌詞――これまでしばしば言及してきた「ウェストサイド物語」の劇中歌で、若いプエルトリカンたちのかけあい、作曲はバーンスタイン――は意外と通底していそうです。

 

I like to be in America(あたしはアメリカ暮らしが好き)
Okay by me in America(あたしとしてはアメリカは良い所)
Everything free in America(アメリカでは何だって自由だし)
For a small fee in America(アメリカでは何だって安く済む)
Buying on credit is so nice(クレジットで買い物なんてすごく素敵じゃない)
One look at us and they charge twice(俺たちのナリを見て二倍の値段を吹っかけられる)
I'll have my own washing machine(自分だけの洗濯機を買いましょ)
What will you have, though, to keep clean?(キレイにするものなんかあったっけ?)
Skyscrapers bloom in America(アメリカに聳える摩天楼)
Cadillacs zoom in America(アメリカで唸りをあげるキャデラック)
Industry boom in America(産業大国アメリカ)
Twelve in a room in America(一部屋に12人も詰め込むアメリカ)
Lots of new housing with more space(新しくて大きな家を買いましょう)
Lots of doors slamming in our face(そこかしこで入居拒否される)
I'll get a terrace apartment(テラスハウスを借りましょう)
Better get rid of your accent(まずは訛りを直さなくちゃ)
Life can be bright in America(アメリカでの人生は明るい)
If you can fight in America(辛抱できればの話)
Life is all right in America(アメリカでの暮らしは快適)
If you're all white in America.(肌が白ければの話)
Here you are free and you have pride(ここでなら自由でいられる、自信を持てる)
Long as you stay on your own side(でしゃばらなければの話)

 

 アンビバレントな語り口ですが、やはり20世紀の(白人たちの)アメリカの物質的な繁栄とその魅力は、誰もが否定できないところでしょう。

 

332p「フォルクスワーゲンのモデルとなったのが、T型フォードだった。反ユダヤ主義社で反金融資本主義者だったヘンリー・フォードが、イデオロギー的にナチズムに近かったことは、この場合、あまり関係がなかった。フォルクスワーゲン計画に決定的だったのは、大量生産される自動車という機能だった。つまり、〈サービス〉と〈魂の工場〉の一体化である。「総統(フューラー)の計画と意志と行為」の賜物として大衆に下賜されて、夢実現マシーンであるフォルクスワーゲンは、個人を体制に組み込むプロパガンダのもっとも効果的、かつ――一九四五年以降の成功が示すように――もっとも永続的な手段のひとつとなったのである」(ヴォルフガング・シヴェルブシュ前掲書)

 

 そして多様性に富む移民国家アメリカは、とどまることなく流動し続けつつ、つねに再構築を繰り返す、そのアイデンティティ希求の運動こそがアメリカらしさ(Americanness)なのかもしれません。「アメリカーナ」という音楽ジャンルなどは、それを端的に表しているように思います。

 

89-90p「カントリー、ルーツロック、フォーク、ブルーグラスR&B、ブルースなど、アメリカの様々なルーツミュージックスタイルの要素を取り入れた現代の音楽であり、その結果、元になった各ジャンルの純粋な形態とは別の形で存在している。アコースティック楽器がしばしば登場し重要な役割を果たす一方で、アメリカーナではしばしばフルエレクトリックバンドも使用される」(柴崎祐二『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす:「再文脈化」の音楽受容史』イースト・プレス、2023)

 

 

  昨日、息子とミュジーカルを観に行く。息子が三浦透子が好き、という経緯だけで、どんな作品か調べずに付き添いでいったが、公民権運動とかベトナム戦争とか、南部の信仰やらが背景にある、そんな話だった(いや、とっても、アメリカ)。三浦透子を、いまだに「鈴木先生の樺山がこんなに大きくなっちゃって」目線で追ってしまう。面白かったのだが、題材が題材なだけに、黄色人種がやるのはちょっときついと思う個所があったり、回想シーンへの切り替えにうまく対応できない箇所があったり。でも、生バンドや映像の使い方など、息子的には勉強になったよう。

 

 

周密『BLと中国』ひつじ書房、2024