60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

テレビって


せっかくなので日経夕刊(「プロムナード」金曜)に載せた文章を、
こちらでも適宜紹介していこうと思います。
今回は、昨日の夕刊にゼミOGが紹介されていた絡みで。



「テレビって」(2016年5月27日付『日本経済新聞(夕刊)』)


 先週は論文を「査読」する話だった。今週は番組の「審議」について。
 在阪民放局の番組審議会委員となって、もうけっこうな年月がたつ。番組審議会は放送法の定めによる機関であり、局のあり方や番組の内容について、局側に意見するのが仕事である。私の属する審議会の場合は、毎月1回のペースで開かれており、局側と委員長とで選んだ番組(もちろんその局が制作・放送したもの)を各委員が視聴してきた上で、それについて議論を進めていく。
 月に一度、早目に家を出て、日本一長いとされる天神橋筋商店街に向かう。そして、コーヒーを飲みながら、何を話すか考える。話の流れを整理し、メモを作る。そうこうしているうちに10時になり、行きつけのマッサージ店がオープンする。審議会は11時から。マッサージベッドにうつ伏せとなり、30分間、ざっと全身を揉んでもらう。
 以前は45分でお願いしていたのだが、悲しいかな、最近は顔についたベッドの跡形が、15分ではとれないのである。施術を受けている30分間、発言する内容を頭の中で反芻し、おさらいしようと思うのだが、大概はぐっすりと寝てしまう。テレビ局に着くのは10時40分くらい。受付で入館証をもらい、トイレに向かう。鏡を見ると、目元などにやはりまだ跡が残っている。年はとりたくないものだと思いつつ、用を済ませて顔を洗い、会議室に入る。
 番組を観て思いついたことを言っていればいいんだろう、気楽な仕事もあったもんだと思われるむきもあるかもしれない。だが、その番組のプロデューサーやディレクターも同席している(どこの局でもそうなのだろうか?)。実際にそれを作った人たちを前にして、番組にコメントするわけだから、なかなか気を使う。でも、申し述べるべきを申し述べるのが任務である。
 時にそのディレクターが、私のゼミの卒業生だったりすることもある。むこうも嫌だろうが、こちらも嫌だ。気のせいかもしれないが、「先生、私の作った番組にケチつけるわけじゃないんでしょうねぇ」といったプレッシャーを感じたりもする。そうした無言の圧力をはねのけ、やはり言うべきことを言うのが仕事である。しかし、単に感想を言うだけでは、これまた意味がない。一視聴者としてではなく、まがりなりにも「学識経験者」として呼ばれている以上、議論は建設的に、今後を見すえて。
 テレビないしテレビ局は、現在たいへんに辛い状況にある。テレビというだけで、当たり前のような顔をして娯楽の王様だ、世の中の中心だと言っていられるご時世ではない。なにゆえ自分たちが、この世に存在する意義があるのかを説明し、納得がえられるだけのコンテンツを作り続けない限り、人々は他のメディアへとシフトしていく。
 最低限の衣食住の生産・供給に関わるものは別として、多くの産業・事業は、周囲から「でも、あった方がいい」と認められなければ、やがて消えていくことになるのだろう。テレビもその例外ではない。
 大学(教育)や学問(とくに人文・社会系)も、近年その存在意義を問い直されている。問答無用、「要るものは要る」「いいものはいい」では、もはや済まされない。開かれた議論が必要なタイミングなのだ。当事者にとっては、ため息の一つも出る事態なのだが。


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映画「セトウツミ」を観る。客層は平日昼間だったので、30〜40代の菅田・池松ファンらしき「女子」たち中心。
けっこう笑いもとれていた。殿馬場中学校もロケ地だったのか。いよいよ「おまえ何チュウ?」の世界。
しかし、旧堺市内(堺区内)で池松・中条的な存在はあまり見かけたことがない(いや、いるのだろうけど)。


今日は、チャペル、打ち合わせ、会議、会議、会議な一日。