60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

サブカルチュラル・スカラー&献本御礼



サブカルチュラル・スカラー」(2016年3月25日付日経新聞夕刊)

 先週、ゼミの同窓生総会の場で、特攻服を貰った話を書いた。その贈呈の様子を見ていたためか、今度は現役ゼミ生で韓国からの留学生が、「1997年ソウルの暴走族」と題した映像を送ってきてくれた。どうやら韓国・文化放送(MBC)のニュース番組の一部のようである。
 ソウル汝矣島(よいど)の漢江(はんがん)市民公園前の道路に、改造バイク数十台で乗りつけ、曲乗りを披露する若者たち。そして、それを見に集まる数百人のギャラリー。日本の1970年代を髣髴とさせる光景だ。曲乗りの感じは、1950〜60年代のカミナリ族的ではあるけれども。
 ただし、服装はごくふつうだし、兵役のせいか髪もおおむね短い。ある若者は、なぜ暴走するのかという問いかけに「女の子たちもバイクが大好きなんだ」と答えていた。たしかに観衆の中に、それらしき女の子たちも混じっている。自慢のバイクやライディング・テクニックがモテ要素であった点も、70年代の日本っぽい。携帯で仲間を呼び出すあたりには、さすがに時代の差を感じるが。
 1997年といえば、韓国で通貨危機が起こり、IMFが介入した年だったはずである。でも、ソウルの暴走族たちは、「若いから勢いで!」といたって能天気だ。
 こうした雑多な若者文化(ユース・サブカルチャーズ)も、私の守備範囲ではある。もういい年だし、新たな動きについていけていないし、この領域からはそろそろリタイアすべき頃合いなのだろう。でも、やっていることは歴史研究なので、古い雑誌や映像資料などを掘り起こしながら、まぁ細々と続けている。
 昨年末には『AMETORA(アメトラ)』という本が出版された。残念ながら和訳はまだ出ていないが、扱っているのは日本における「アメリカン・トラッド」の軌跡である。要は、アメリカのファッションが、日本の若者たち(とくに男性)にどのような影響を及ぼしてきたかの戦後史である。
 その出発点は、やはりアイビーないしVANジャケット。カジュアルなスタイルが卓越する80年代以前、若者たちにとってオシャレとは、よりトラディショナルでフォーマルな格好をすることだった。ドレスダウンではなく、あくまでもドレスアップ。また、石津謙介の系譜をひくものとしてのファーストリテイリング、という指摘は目からウロコだった。
 一方、暴走族周辺の若者たちも、アメリカンな不良ファッションを取り入れる中で「ヤンキー」と呼ばれるようになる。そして、ヴィンテージ風な国産デニム・アイテムなど、「日本発のアメトラ」とも言うべき奇妙な逆転現象も起こっている。
 この本の謝辞の中には、私の名前もある。著者のデーヴィッド・マークス氏からインタビューを受けたことがあるためだ。たいして役に立つ話もできなかったのに、律儀な人だ、ありがたいことだなぁと思う。
 そこでの私の肩書は、「サブカルチュラル・スカラー」である。無理に訳すと、「サブカル学者」くらいだろうか。なんか、バカっぽい。他の方は、ファッション・ヒストリアン(服飾史家)やソーシャル・クリティック(社会批評家)と紹介されている。う〜ん、どう見てもそちらの方が、頭がよさそうだ。
 まぁ特攻服を贈られて喜んでいるような人間なので、サブカルチュラル・スカラーあたりが適任だという気もするが。


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最近、デーヴィッド・マークスさんからご著書“AMETORA”をいただいた。
サブカルチュラル・スカラーって敬意こめてるんですけど…とのこと。
また、来年は邦訳が出るとのこと。『popeye』でも連載をもたれるとか。
出版業界とY君に幸あれ(あとS英社とか)。
http://d.hatena.ne.jp/sidnanba/20160618


あぁあともちろん、現在進行中のお仕事でお付き合いいただいている
S文閣様、Mヴァ様、A石書店様、Y川K文館様、K文堂様…


今日はチャペル、大学院ゼミ、院ゼミの打ち上げなど。


石津謙介という「♪“AMETORA”の父がいる〜」は、まだ通じるのか???