(家族旅行、承前)
北杜夫、『どくとるマンボウ青春期』の世界。昔の寮を保存し、旧制高校(文化)に関する博物館などもある。
小学生でどくとるマンボウものにはまり、楡家なども読み、中学生の頃にはかまやつひろしの「我が良き友よ」が世に流れていた世代。当然、旧制高校的なものには、当時「是」であった。
ところが、その「我が良き友よ」を指して、ラジオで中山千夏が「ムッシュ、何であんな歌を歌うんだ、吉田拓郎もなんで…、どっかの変なオジさん(ノスタル爺)が作ったもんだとばかり思っていた」といった発言をしていた。
中学生ながらにショックを受けたが、あれが初めて「ホモソーシャル」批判に接した経験だったと思う。
70年代半ば、フェミニズムという言葉よりは、ウーマンリブ(女性解放)の方が一般的だった頃だが。
その後、高校時代、寮歌好きな先生などに接し、マンガ「摩利と新吾」の世界には背を向けるようになる。ギムナジウムを旧制高校にされてもなぁ…みたいな感じ。しかし、「摩利と新吾」は、ホモソーシャルとホモセクシャルの間(あわい)を衝いた、今から思えば画期的な作品だった。
ともかく、中山千夏はやはり偉かったと思う。大学時代は、革自連支持のチナチストと自称し、さまざまなセクトのオルグをかわしていた(というか、あきれられていた)。
まぁそんな旧制高校へのアンビバレンスゆえに、「教養(主義)」を賛美する気にはなれずに今日に至る。
でも、大学図書館長…
今日も登校、教務、審査仕事。