60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

がんばれ、メコーズ

先週土曜日は、高校の同窓会。
学年ぶち抜きの会だったので、200名弱は集まったよう。
半数には届かなくとも、三分の一は超える出席率。


昭和の秩序が息づいていた70年代後半。
まだまだ公立校がはばをきかせていた大阪府下(しかも南部)で
けっこう進学実績を挙げていた当時の某府立校卒業生たち。
(「金がかからないほど偉い」という関西合理主義が
教育にもまだまだ貫徹していた時代)
ゆえに教員・公務員・研究職・医師が多く、
企業勤めもインフラ系(しかも関西中心)が多い印象。
連絡が取れなくなっている人も多いようだし
出席者にしても悪戦苦闘はしてきたのだろうが
まずは堅実に人生を歩んでいるようで、なにより。


しかし、外見的にはかなりのヴァリエーション。
30年間に、見た目20歳加齢する者もいれば
40歳加齢する者もおり、プラスマイナス10ずつ。
これがあと20年もすれば、みな一律老人となるのだろうけど…。


会の途中、各学年のクラスごとに集まったりもしたが
胸の名札を見ても「そんな子、いたっけ???」
と声をかけそびれた人が、後でよく考えてみれば
あの美男子が…、と驚愕の変貌を遂げていたりする。


高校の先生になった人も多く、また女性陣を中心に
子供が大学生という人がけっこういて、
日々の業務を思い出さざるを得ない局面もありつつ
楽しくタイムスリップのひと時を過ごせました(幹事団に多謝)。
三次会は高校最寄りの駅前で。あんまり変わらんなぁ〜(懐)


そんなこんなで、30年前の自分自身をつらつら思いだしてみると
どうにもこうにも恥ずかしいことばかりで。
高校生というものは、よほどのことがない限り
誰もが何者でもない時期、としか言いようのない3年間。
しかし、それにしても中二病を患い続けたような
今から考えると、山ほどの稚拙・愚行の繰り返しで…。


周囲の自分に対する評価も、やはり
「得体が知れない」「変り者」「変質者」等々であったことを再確認。
ある学年のクラスで集まっていて
お前、父親のエロ写真コレクションを
こっそり学校に持ってきて、回覧させてただろう
ありゃ、けっこうトラウマになったぞ云々といわれる始末。
そりゃ違う、あれは、某君だってば。


でもあの3年間が、その後の自分の原型だったような気もしてくる。
「史学部」などという、今ならインキャラの代名詞みたいなクラブで
こつこつ調べ物することの楽しみに目覚めたこととか、
3年時クラスの文化祭の出し物のために脚本を書いて
それを某先生に妙にほめられ、いい気になってしまったこととか。
(中高生への最大の禁句は、「才能があるな」だと思う)
大学時代に母校に教育実習に行き、面倒見ていただいた某先生に
「いい授業をしてる。あとはソウルとパッションだけだ!」
と言われたことも記憶に鮮明に残っている(いまだにパッションねぇなぁ)。
高校生〜大学生とは、上手に可能性を潰してくべき時期なのだろう。
一つ(多くて二毛作)の人生しか送れないわけだから
悔いの残らない絞り込みができたか否かが、重要なんだろうと思う。
(いまどき「万能の天才」みたいな人はまずいない。自称を除いて)
同窓会に来てた人は、皆それなりに人生に納得してる感じがした。


しかし、昔の高校生は幼いというか、バカというか。
受験態勢に入った3年生にとって、体育は貴重な息抜きの時間で
1年間ソフトボールをやり続けていた記憶しかない。
私は○尾君という人がキャプテンだったチームに所属しており
そのチーム名は「メコーズ」だった。
対戦相手には○口君という人がキャプテンのチームがあり
私たちは勝手に「ンポーズ」と呼んでいた。
ほんと、小学生並み。くだらね〜


その3年時のクラスは、男女比1:2の文系クラス。
教室後方に固まって座っていた男子たちは
机の縁に好きなタレント名を書いた紙を貼る
という、ほんとどうでもいい遊びをしていた。
(女子からはバカにされ、相手にされてない感じ)
中田喜子」と渋いセンを貼って、
「連想ゲーム」だの「歯ぐき」だの悪態をつかれていた某君も
今では立派に大学教員だったりする。
「原悦子」等々、日活ロマンポルノ系を貼っていた人たちは
なぜか皆、音信不通組だったりする。
私はというと、最初「中山千夏」と貼って
正直に書け、韜晦するな、ウケを狙うなと非難され
(いや、本人けっこう真面目に申告しているのに)
沢田聖子」とした記憶がある(いや、これは恥ずかしい)。
しかし、それにしてもマイナーに過ぎたようで
お前、田辺聖子が好きだっただろう、と言われ絶句。


月・火は、琵琶湖畔へ家族旅行。
国民休暇村かんぽの宿の類は、細かな差異はありながらも、
大局的には似たり寄ったりの家族が、佃煮にするほどわいていて
ジイジだの、バアバだの、癇に障る呼び方がとびかっている。
高校時代、変質者だろうが、田辺聖子好きだろうが、結局
フツーのお父さんになってくんだし、それに悔いはないよなぁ。
(フツーのお父さん、ないしカモカのおっちゃん)