60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

東京なう2

年のせいか、早起き。今朝、朝食を終わっても7時半。
大宅壮一は開館10時だし、昼から雨だと天気予報も言っているし
ということで、早々に新御茶ノ水発、湘北を目指す。
ここまできたら、マッカーサーの降り立った近くまでにいかんことにはと
相模大野→大和を経て、相模鉄道さがみ野へ。
厚木にないのに、厚木ってのもね〜。駅からかなり歩いたゲート前一角は
base side st.としてちょっと商店会的な動きがあるものの…
やっぱ、変哲のない郊外の駅前、住宅地。


車中用に仕込んだ本が、『ミドルクラスを問いなおす』なだけに
昨日からの、延々と広がる首都圏郊外の風景には、やや食傷。
ミドルクラスねぇ〜。
ミドルクラス幻想と持ち家幻想のイデオロギー複合体に追いつめられる人々、
みたいな話は、首都圏郊外だとリアルなんだろうけどなぁ。
関西圏に住む自分がなぜ住宅ローン組んだかというと
まだしも地価の安い関西ならさほど無理せず組めるし、何より賃貸より経済的、
みたいな判断があったから。それで社畜だか校畜だかになったかもしれないが
虚偽意識(イデオロギー)云々よりも、どっちがお得か、ただそれだけ〜。
ミドルクラスからずり落ちないように無理を重ねているというよりは、
死ぬまでにローン返せて、子どもが高等教育を望むなら、それを与えてやれて
結果ミドルにまで這い上がれれば…、みたいな心持。


関西の中堅企業の中間管理職で、もろ中間文化享受者だった父親が、
郊外の建売住宅を遺して急死した11才の夏から
失われたミドルを求め、55年ほどかけて階層のラダー上ってる感じ。
たしかに個人主義的だし、自分の家族セントリズムではあるけれど…


ミドルクラス。今問いなおす価値があるんだろうか。
なぜ昔あんなに強固な幻想だったのか???は、
歴史の謎として問い続けられるべきだろうけど。という読後感。


帰路はまず町田で下車。古本屋へ。神保町の惨状に比べ、町田は元気。けっこう収穫。
車中本は、今度は『希望難民ご一行様』。
ピースボートって今そうなのか! と、あと「船≒大学≒ゼミ???」と思ってしまう。
今学生が大学やゼミに求めるているのは、セカイか、自分探しか、
はたまたモラトリアムか、文化祭か… どれもあたっている気がする。
あと、この本の中で多くの社会学者などが、枕詞つきで登場している。
この本の著者が面識のある先生方に、ちょっとやんちゃにツッコミを展開ということなんだろう。
拙著も取り上げてくださっているが、こちら個人には何も枕詞無しで、ホッ。
こういうの、著者がどうのこうのというよりは
そうした有名先生へのツッコミに「あるある」とうなづきあっている
それこそ「承認の共同体」が、ちょっとうっとうしい感じ。でも、いい本。


で、乃木坂で降り、勢いでハーディ・バラックスやら星条旗通りやら。
江分利満氏の家に、スター&ストライプスの記者が下宿してたのも納得。
印象的だったのが、青山墓地と青山公園に挟まれた「タクシー運転手昼寝通り」。
ヒルズの青山ブックセンターを探検、とも思ったけど、やはり麻布署横のABC。
本を置きに新御茶経由でホテルに帰って、また新御茶→表参道→神保町と本屋めぐり。
外苑の花火のせいか、浴衣姿が目につく。


明日こそ、大宅壮一