60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

東京右往左往

月曜火曜は大宅壮一文庫
水曜木曜は国会図書館でようやく帰阪。
その間、いろいろ人に会ったり
映画『GONZO』観たり、白金の庭園美術館行ったり。


大宅壮一でいちばん笑ったのは、
『東京人』バックナンバーの広告。
「天国へのインターフェイス 仏壇工房××」


神保町に投宿なので、古本屋もちょっとだけひやかして
収穫は、ショパン猪狩の自伝や
小林信彦による横山やすしの評伝など。
GONZO』観ただけに、ハンター・トンプソンとやっさん
かぶりまくり(小林信彦曰く「破滅型というより自滅型」)。


一度は天才と呼ばれてしまったことの悲劇、
もしくは毒吐くことで人気を得たことによる自縄自縛、
有名となり「ごまめの歯ぎしり」ではなくなったための
面白みの逓減、マンネリ化、スランプ、世間とのズレ。
当初の切れ味をなくしても、大御所として残るには
北野武の才能やら島田紳助の戦略やらが必要だった。
その点、横山やすしは計算できず、繊細にすぎた…
ハンター・トンプソンも有名人としての自己像に
押し潰されたし、無名ゆえの自由な取材を封じられた。
ダウンタウンの二人は、どう年をとっていくんだろうか。
生涯一ごまめ、非天才の身としては、ようわからん。


小林信彦、東京下町至上主義はあいかわらずだけど
西川きよし論として、非常に腑におちる。
高信太郎は、ちょっとかわいそう。
でも、取り巻きができはじめたら、やっぱりピンチだ。
ゴンゾー(ならず者)が信奉者に取り囲まれる危険。


下町といえば
中村健治『日本初の私鉄』交通新聞社新書、2011
を読んで、なぜ山手線が「山の手」なのかに気づく。
山手線がループになるはるか以前に
品川〜渋谷〜新宿〜板橋〜赤羽の日本鉄道品川線時代が
あったからだとか。たしかに山の手を走ってる。
それと繋がったから、上野〜新橋〜品川までもが山手線。
品川線、当時の技術ではけっこう難工事だったとか。
たしかに御殿山・池田山・代官山・戸山と山だらけ。
もしくは目白台とか南平台とか白金台とか台地だったり
桜ヶ丘とか豊島ヶ丘とか丘だったり。もしくは渋谷。


JR阪和線にも南海電鉄山手線時代があったとか。
たしかに、信太山…。でも山の手というには…。
堺市立旭中出身の横山やすし小林信彦
東西ゆえの水と油感がありつつ
でもどこか切り捨てきれないのは、下町感なのかなぁ。
しかし、南海沿線出身者の垢抜けなさはなんなんだろう。
堺市立中出身者としては時々思う。河合奈保子柏原芳恵
堀ちえみ、立花理沙、沢口靖子吉岡美穂黒谷友香


それはそうと、山手線止まり過ぎ。3泊4日中、
山手線で2回、地下鉄で2回、運転休止や徐行運転を経験。
いずれも人身事故とのアナウンス。自殺大国ということか。
また都営新宿線半蔵門線などだと、遠くでの事故が
相互乗り入れゆえに広範囲に波及していくよう。
神保町拠点に新宿・三田・半蔵門線で移動する身としては
困ったことだ。東京の複雑怪奇な交通体系も、
そろそろオーヴァーロードってことなんだろうか。
丸の内線や銀座線に、閉ざされていることの強みを感じる。
それから、後続の電車が遅れておりますので時間調整を…
って何。「前空いとんのやったら、つっこんだらんかい!」


ま、『GONZO』の観客が3名だったのに対して
庭園美術館はけっこう賑わっていたのが印象的だった。
アールデコは新しくても、1960年代は古いのだ。
しみじみ、今年50歳になるということを噛みしめていこう。


AKB48恵比寿マスカッツの区別がつかない。つける気もない。