60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

コードが短い…


追い出されるまでの間、竜王戦をニコ生で。


この前、自販機で当てたスピーカーで聴いているが
コードが短い…。


何考えてんだ!と最初思ったが、
よくよく考えてみれば、皆
スマホタブレットなどにつなぐんだろうなぁ〜。
デスクトップとか、想定外なんだろう。いやはや。


田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』河出書房新社、2014
を読む。昔クリスタル族について書いたりした以上、ともかく読む。
50代の著者や主人公たちが、今をどう生きているか…。
著者も主人公由利も、子育てに追われる必要なく
ソーシャルな感じでいろいろ考えたり、動いたり、なのだが。


う〜ん、映画「TATSUMI」ハナムラ課長の方が、ずっと共感できるぞ。


考えてみれば、ハナムラ課長の頃は、
55歳で定年とかだったんだよなぁ〜。
そのリタイア後への諦念の深さには、暗澹たるものを感じるが
でも、なんか羨ましいぞ、55歳でリタイアできるのは。
53歳で小4二人かかえる身としては。その一方で
クリスタル族のその後には、33年前同様、「ケッ」と思ってしまう。


なんだろうなぁ。
多分、田中康夫石原慎太郎、小説じゃないけど猪瀬直樹
(それから多分、村上龍)などは、書きたい人というよりは
何かをしたくて書く人、なのではないだろうか。
世の中に対して、何かをしたい、でもとりあえず手元にあるのは
筆記用具だけだから、それをとりあえず使ってみる。
才能あるから、それを職業にできたのだけど、
書くことが最終的な目的ではない…、男子一生の仕事ではない…
みたいな感じだろうか。
他方、村上春樹などは、ともかく書くことが好き。
辰巳ヨシヒロも、生活のためと言いながら、ともかく描きたい人。
それは水木しげるもそうだろう。一方、手塚治虫
本来描くことが好きで好きでたまらない人だったのだが、
徐々に「負けたくない」人となっていったのでは
(だから辰巳ヨシヒロらの劇画にも、対抗意識を燃やしてしまう)。
もちろん、「ともかく書きたい人/何かをしたくて書く人」は、
すべての二分法がそうであるように、
キッパリと分かれるものでは無いんだろうが。


自分の場合は、ともかく書くのが好きな人間なのだ。
楽しく書けてれば、とりあえずそれでよい。
(いや、書いたもの、売れてほしいんですけど)
だから田中康夫よりも、辰巳ヨシヒロの作品にひかれてしまう。


今日は、大学院ゼミ、昼から大阪へ。


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