60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(37)スーパーとショッピングモール

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最近知りました。回れ、回れ、再生回数。

 

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(37)スーパーとショッピングモール

 

 スーパーマーケットの元祖については諸説あるようですが、アメリカでは1910年代、日本では1950年代あたりに出発点が置かれることが多いようです。

 たとえば青山紀ノ国屋は、PXへの青果物の納入によって戦後復活を遂げましたが、進駐軍の撤退が進むにつれ、直営店へと重心を移していくことになります。

 

92-3p「昭和二十八年(一九五三)、十一月二十八日土曜日、いよいよその日がきた。セルフサービス方式によるスーパーマーケットが、この日初めて日本に誕生したのだった。派手なグランドオープニングの催し物こそなかったが、前夜には社員総がかりで開店準備をしていた。準備をするといっても、何もかもが日本で初めてのことだった。木製のゴンドラを一三台、売場に配置して商品を載せる。ナショナル金銭登録機レジスターを三台置き、キャッシャー・エリアを作る。商品にはすべてプライス・シールを貼り、棚にはプライス・カードを表示する。いわゆるポップ広告(pont of purchase)という店内に飾るポスターや吊り下げ物、サインボードなどには、とくに念を入れて美しく見えるように気を配った」(平松由美『青山紀ノ国屋物語:食の戦後史を創った人』駸々堂、1989)

 

 創業者増井德男は、PXに出入りする中で、基地の中の売店「カミサリー(commissary)」にふれており、またワシントンハイツなどが近い立地条件もあって、こうした店舗づくりにチャレンジしたのです。
 それよりは少し遅れますが、以下も、そうしたスーパーマーケットの嚆矢の一例でしょう。

 

163p「五九年四月、団地の名店街に隣接して、西武ストアーが開店した。新所沢駅構内に開店した所沢店同様、公団の要請によるものであった。ひばりが丘店では、西武百貨店店長の辻井喬と三島彰の発想で、ジョンソン基地PX(米軍専用の売店)をまね、初めてセルフセレクション。セルフサービス方式を取り入れ、商品を袋につめるサッカーと代金の計算を行うキャッシャーとの分離を行った(前掲『セゾンの歴史』上巻)。/四階建フラットタイプ主体の団地そのものは米軍ハウスとは似ても似つかなかったが、商店だけは米軍基地を模倣したのだ。いまでは、商品を袋につめるのは客に任されていて、サッカーを専任で置いているスーパーはほとんどない」(原武史『レッドアローとスターハウス:もう一つの戦後思想史』新潮社、2012年)

 

 一方ショッピングセンター(ないしショッピングモール)の出発点にも諸説あるようですが、1950年代のアメリカ統治下の沖縄にその源が求められるようです。

 

2024年4月13日付『朝日新聞』「はじまりを歩く:ショッピングセンター(沖縄県沖縄市):米軍の統治下 流行の先端に」
「日本で最も古いショッピングセンターのプラザハウスは米軍統治の時代、「コザ」と呼ばれていた基地の街・沖縄市にある。国道330号沿い、琉球米軍司令部、通称「ライカム」があった場所のすぐそばだ。/1954年7月4日、米国の独立記念日にオープンした。つくったのは基地で商売する香港系華僑と、東京で富裕層向けにファッションビジネスを営む米国人。当初は米軍将校とその家族用というのが主な目的で、その後、地元の人に開放された。/米国が最も豊かだったといわれる時代。バリー、パーカー、たばこのケント、ジーンズのリーバイスなど多くのブランドがここから「上陸」した。テナントにはハンバーガーショップレコード店が入る。バンクオブアメリカパンアメリカン航空がオフィスをかまえた」

 

 同記事には、以下のようにもあります。

 

「ショッピングセンターの誕生には諸説ある。一般的には20年代、米国で生まれたとされる。プラザハウスが誕生した50年代ごろ車社会が発達、住宅の郊外化が進み普及したという。/日本本土に郊外型ショッピングができるのは60年代。68年にダイエー大阪府寝屋川市にスーパーに併設してつくった。翌年、東京都世田谷区で玉川高島屋ショッピングセンターが開業し話題になった」

 

 ショッピングモールに関して、よく引きあいに出される映画に『ゾンビ』(1978年、ジョージ・A・ロメロ監督)があります。主人公たちが逃げ込んだショッピングセンターは、ペンシルベニア州のモンロービル・モール(1969年オープン)がロケ地となっており、今でも「聖地」となっているとか。ショッピングモールと映画——『ゾンビ』上映に寄せて②|佐々木友輔

 先ほどの記事に「沖縄市は基地の街。米軍統治下の27年間に培われた沖縄と米国ミックスカルチャー「琉米文化」を知るなら、プラザハウス3階にあるギャラリー「ライカム・アンソロポロジー」へ」とあるように、プラザハウスも「琉米文化」の聖地なのかもしれません。

 ちなみにライカムは、琉球軍司令部(Ryukyu-command)の略称で、ライカム交差点といった地名としても残っており、今ではその交差点にイオンモールが隣接して建てられているようです。

 

 

 

箕面萱野、行ってみないとなぁ。

 

連休中は、ゆっくり仕事できました。講義準備(自転車操業)、館長仕事、大学院教務…

 

日高良祐編『シティポップ文化論』フィルムアート社、2024