60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(19)占領期の記憶点描

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(19)占領期の記憶点描

 

 ワシントンハイツ(現代々木公園)に関しては、秋尾沙戸子『ワシントンハイツ:QHQが東京に刻んだ戦後』(新潮文庫、2011年)や大泉博子『ワシントンハイツ横丁物語』(NHK出版、1993年)などあるのでふれませんが、最近不思議なところで見かけたので、まずは引用。

 

73p「いまもなお米軍宿舎のままであるワシントン・ハイツの自刃現場におとずれて見たかった。おれは電車に乗って代々木に向かった。/トランクに腰をおろして、おれは鉄条網ごしに芝生の豊かに育った丘の高みを眺めた、将校家族の幼稚園の遊び場になっているらしい自刃現場で、平和な音楽と花かざりにかこまれて金髪の幼い子供たちが遊びたわむれていた、おれは寛容な優しい気持ちになっていたので、その愛らしい外国人の子供らの幸福が楽しかった、夏の終わりの清らかな陽の光が独りぼっちのおれの微笑と、青い芝生にまいた水の銀色のしずくと、そこに遊ぶ金髪の子供のぴくぴく動きまわる小さな肩とを照らしていた。そしておれは十五年前のある夏の夜明けにそこで死んだセヴンティーン、《臍下約四糎のところを横に十五糎、深さ〇・五糎、即ち皮膚のみ》を切り《首の中央より少し下部、第五、第六頸椎間を斬つて前咽喉部の皮を一枚残せしのみ》の介錯をうけたセヴンティーンと、いま党を離れて独り自分の右翼の杜、右翼の城をみずからつくろうとしているセヴンティーンのおれとを、ただ一人の同じ人間であるように感じた」(大江健三郎「政治少年死す(「セヴンティーン」第二部)」『大江健三郎全小説3』講談社、2018年、太字は原文傍点部)。

 

 敗戦直後、代々木練兵場で実際に集団自決がありました(木本玲一「国家と死:大東塾の集団自決を事例に」遠藤薫編『戦中・戦後日本の〈国家意識〉とアジア』勁草書房、2021年)。

 他には、山本一力『ワシントンハイツの旋風』(講談社文庫、2006年)。1948年生まれの自伝的小説ですが、主人公は中学時代からワシントンハイツへの新聞配達をはじめ、将校一家、とくに子供たちと仲よしになっていました。

 

172p「高校一年生一学期半ばの六月に、ワシントンハイツの居住者全員が、調布市飛田給(とびたきゅう)に新設された『関東村』への移住を始めた。翌年開催される東京オリンピックの選手村に、ワシントンハイツが転用されると決まっていたからである。/新聞配達は、六月末日で終了と決まった。/「ケンは、我が家の大事なゲストだ。いつでも関東村に来ていいぞ」」

 

 あと記憶の残り方としておもしろいと思ったのは、マンガ家・清原なつの(1956年生まれ、岐阜県出身)のケースで、これもまた自伝的なマンガ『じゃあまたね』(集英社、2018年)の「1969年私は英語が話せニャーン」(中学校に入り英語が苦手となったことに関する章)には、「幼稚園の頃でしょうか 愛知県犬山市の遊園地へ家族とお出かけ 一人でヒコーキ型の乗り物に乗って 乗り物が終わって両親の元へ駆け出した時」、外国人男性に不要になった遊戯券をいきなり手渡され、とっさに英語でサンキューと言えなかったというトラウマ話があります。「遊園地のあった犬山市のすぐ隣の岐阜県各務原市(ぎふけんかかみがはらし)には 戦後しばらく米軍基地がありました 岐阜にいた海兵隊は一九五六年に沖縄(おきなわ)へ移転しました 一九五六年生まれのユウコちゃんは遊園地で出会った外国人さんを なぜかアメリカ兵と記憶してます 服装も顔も何も覚えていませんが…」。

 

 本当に米兵家族が、かつて住んでいたあたりを訪ねていたのか、それとも各務原生まれの清原なつのの頭の中で、長身の白人男性は、自動的にアメリカ兵に変換されていたのか。ともかく戦後のある時期まで、外国人イコール米軍関係者、という前提が生きていたのだと思います。

 最後にもっとも個人的に気になる基地話が、小比類巻かほる『Bバリー・ストリートから』(ファンハウス、1992年)という、1967年生まれのミュージシャンの自伝的小説(青森県三沢生まれで基地のハウスで育つ)にある、小学生の頃エアフォース・カーニバルでジェームス・ブラウンのステージを見たという件です。70年代に数度来日した記録はあり、コンサートツアーのついでに基地によった可能性はあります(1973年2月5日付読売新聞「“魂の叫び屋” J・ブラウン来日」)。

 ちなみにwikipediaジェームス・ブラウン」の項には「吉田拓郎岩国基地ジェームズ・ブラウンの生ライブを観て「とにかく音が凄かった」と述懐していた(パックインミュージックTBSラジオ)1972年5月31日放送での拓郎の言及)」とあります。

 

 

 講義2回目。アイドル・ファンダムの話をします。あと、院ゼミ、面談。