60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(補遺の補遺)アメリカ(61)70年代中盤の男子高校生ファッション


(ポピュラー・カルチャー論講義補遺の補遺)「アメリカ」を考える(61)70年代中盤の男子高校生ファッション

 

 まず、秋元康(1958年生まれ)の自伝的小説から、東京私立一貫校の青春群像を。

 

11-2p「うちの高校は制服がなく、それぞれが思い思いの私服で通学するので、男子校の割には毎朝の洋服選びに結構、気を遣っていた。/一応、『男専』や『メンクラ』をめくりながら、真似をしてはみるのだけれど、グラビアの中のモデルのように、カッコよくなったためしがない。/僕は毎年、金井田を誘って、科学技術館で開かれるVANのバーゲンに出かけて、スウィングトップやら、コッパンやら、襟つきのトレーナーをまとめ買いしていたから、ファッション誌の表紙のようにめまぐるしく流行を取り入れるわけにはいかなかった。/その時にもらうVANの紙袋は人気が高くて、小脇に抱えて歩くのが、おしゃれだった。/あんまり長く持ち歩くので、底のあたりが破れ、ボロボロになってきても、みんな、セロテープを貼って、また、使っていた。/クラスの大半はIVYっぽい格好をしていたけれど、なかには、コンチやヨーロピアンで決めて、学校の帰りに『ビブロス』や『メビウス』で女の子をナンパしまくってる遊び人や、髪を伸ばして、汚ないジーンズに下駄ばきでやってくるフォークソングかぶれもいた」(『さらば、メルセデス』マガジンハウス、1988年)

 

「襟つきのトレーナー」とあるのは、襟つきスウェットのトップス、みたいなことだと思います。「男専」とあるのは『男子専科』(1950~93年、スタイル社)という男性ファッション誌のことで、2013年にぶんか社より『Dansen』として復活していますが、今は廃刊のよう。2013年の『男専』復刊の際のものと思われるホームページ(http://danshi-senka.jp/about/)には、

 

『男子專科』と『メンズクラブ』の時代
男性にお洒落心が芽生えた時代、1960年代になると画期的なファッション・ブームが起こりました。「アイビールック」です。『男子專科』の後発として誕生した『メンズクラブ』(当時・婦人画報社)が大々的にとりあげブームの火付け役となりますが、あくまでも「コンチネンタル・スタイル」を踏襲する『男子專科』と共に、その後暫く「コンチ・アイビー時代」を牽引することになります。

 

『メンクラ』はその対抗誌であった『メンズクラブ』(婦人画報社ハースト婦人画報社)。『POPEYE』創刊以前の話なので、先の引用は、日本流IVYであるVAN(アメリカン・トラッド)優勢の、70年代以来の時代相を描き出している文章となります。

 その後周知のように秋元康は1980年代、放送作家や作詞家として、縦横無尽にメディア業界(放送、出版、音楽、広告、映画…)を駆け抜けます。孫引きで何ですが、その頃のものと思われる文章――「ランチでも食べながら、コマーシャルの打ち合わせをしよう」ということになり、昼時のオフィス街に出た際の経験を綴ったもの――を引いておきます。(大月隆寛「〈ギョーカイ〉の生成、あるいは「会社」という脅威」『別冊宝島110 80年代の正体!』(JICC出版局、1990年)より)

 

「あちこちのビルから一斉に、サラリーマンやOLたちが、目当てのランチをめざして突進して来る。僕たちのグループは、そんな流れの中で、すっかり浮いてしまった。“浮く”というよりは、”弾き飛ばされた”と言ったほうがいい。『あんたたちの来る所じゃないよ』と言われんばかりである。……(中略)……なにしろ、そのオフィス街の人の波は、グレーか紺のスーツで埋めつくされているのだ、ところが、僕たち自由業のグループは、イタリアのハデな色合いのセーターを着ている奴はいるわ、革のジャケットに革のパンツはいるわ、古着にバンダナ姿の奴もいる。ひと昔前の言い方をするなら、『ヒッピー』みたいなものだ」(秋元康「自由業の人たち」)」

 

 ニッポン放送あたりの社屋から丸の内仲通りに出てみた、みたいな感じでしょうか。となると1980年代、いわゆる「(丸の内の)三菱村」の住人たちは、未曽有の好景気のなか、アメリカ何するものぞ、ジャパン・アズ・ナンバーワンだと鼻息荒かったと思われます。その一方で「ギョーカイ」人たちも、重厚長大(産業)から軽薄短小へと内心唱え、紺やグレーのスーツの人たちをどこかで蔑視していたのでしょう。

 秋元の自伝的小説は、1988年秋、「オフ・ブロードウェイのミュージカルを制作するために」ニューヨークに本拠を移そうとするところで終わっています。

 そして1990年代以降、カジュアルな服装の(もしくは服装に一切気を使わない)シリコンバレーの覇者たちによって(さらにはフロッグリープしていくアジア諸国によって)、日本の紺スーツ会社員も「(コンテンツビジネスに携わる)自由業の人たち」も一気に窮地に追い込まれていきます。以前にも書きましたが、まさに禍福は糾える縄の如し。

 

今日は授業、院ゼミ、会議の一日。