先週土曜にはこんな催し物も。
しかし、イタリアから帰国翌日の内田先生といい、ナマ配信あけにもかかわらずの高橋さんといい、体力オバケとしか言いようがないなぁ。
こちらもちょっとは体力維持せんと。
ともかく、老骨に鞭打って、ひたすら書く。
西田亮介『エモさと報道』ゲンロン、2025
報道とかジャーナリズムとかの問題意識なく、この年まで生きてきたが
義兄が某新聞社→系列地方局と移り定年をむかえたので、旧マスメディア(若い頃のマス4媒体意識が今だ抜けず)の経営にとくに興味はないのだが
(姪や甥、姉がそれなりに豊かに暮らしてきて、幸せそうなのでそれでいいのだが)
テレビ局の番組審議会の仕事などもしてるので、もろもろ考える。
ネットメディアだけが、報道を担ってよいものか、という危機感を本書からは強く感じる。それだけ新聞社や放送局への期待もあるのだろう。そうした西田さんへの対応、この本を読む限りでは、新聞社の側がダメじゃないの、と思う。
何も言わずにそっと離れていく知識人、言論人の方が賢いし、読者もそっと離れていくだけだろう。何か言ってくれる人の声は、とりあえず傾聴し、それなりに理があるならば対話すべきだろう。
すべてがネットに移行しても(NHKだけは電波を発し続けると思うが)、新聞社や放送局の報道の魂というか、魂というのが情動すぎるならば肝というか、それは残り続けてほしい、ということなのかと思う。残り続ける肝が、「エモ」ではあるべきではないという話かと思う。
でも、9月には「情動のメディア史」ミニシンポに登壇。