60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

「広告」に明日はあるのか、ないのか、どうなのか。(2)「マスコミ」って何だ。

 今からさかのぼること7年前、創刊75周年の静岡新聞と開局65年をむかえる静岡放送とが、次のようなテレビCMを流し、話題を呼びました。
https://www.acc-cm.or.jp/publications/acction/loco/2016.12/

 

www.youtube.com

 

 夏の浜辺で、俺たちマスコミ関係だよと、女性二人組をナンパしようとする兄の新聞(75歳)と、弟のテレビ(65歳)。
 でも女性たちは、「マスコミとか興味ないし、ウチらほぼウェブだから」と冷ややかな態度をとります。愕然とする兄弟。「やっぱ、このままじゃだめなんだ」。そして、兄弟は「今までの自分を超えろ!!」と鍛錬に励みます。しかし、2016年以降も新聞の発行部数減少に歯止めはかからず、若年層のテレビ離れも相変わらずです。
https://www.pressnet.or.jp/data/circulation/circulation01.php
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r03/html/nd242510.html

 最近、「マスコミ志望者を増やすには」といったテーマでパネラーに呼ばれ、昨今の大学生の「マスコミ」に対する意識についてお話しする機会がありました。授業の際にコミュニケーション・ペーパーを配り、「マスコミ」と聞いて何を、どういうものとしてイメージするかを自由記述してもらったので、それをもとに話をしたわけです。
 学生たちのコメントを要約すると、「マスコミ」と聞いてまず思い浮かべるのは、テレビ(地上波)、とくにニュース・報道・情報番組であり、まぁ「マスゴミ」的な認識や経営的に苦しそうとのイメージがある一方で、「マスコミ」にネガティブな側面があるとすれば、そのことに受け手の側も一部加担しているのでは(ex. 有名人のプライバシーへの覗き見趣味voyeurismに関して、マスコミと受け手とは共犯関係)、といったあたりでした。中には、「マスコミ」と言われても特に何も思い浮かばない、深い考えも出てこない(要するに無関心)といった回答もありました。

 報告を終え、その後の懇親会にも出てみての印象ですが、当事者たちの危機感は相当深刻なようです。まだまだ大手の出版社やテレビ局などの採用試験は、けっこうな難関だと思うのですが……。

 

 バブル期まで話をさかのぼらせると、「マスコミ就職」はたしかに掛け値なしの激戦でした。映画「就職戦線異状なし」(1991年、製作フジテレビ)は、早稲田大学マスコミ研究会が、4年生の先輩たちの就職活動を競馬に見立て、誰がもっとも難易度が高いとされる企業に就職するかの馬券を売り出すシーンから始まります。このレースのゴールは、マスコミ業界限定です。その理由として、「人手不足で売り手市場、一般企業は内定を押し売りしているし、いまいちジミでしょう。おもしろいレースになるのは大手マスコミだけ」とのこと。

 ネタばれすれすれであらすじを紹介しておきますと、賭けの対象となった北町(坂上忍)は早々に親のコネで大手広告代理店の内々定を獲得します。マスコミ一本で奮闘してきた立川(的場浩司)――「これで生涯所得が決まってしまうんですよ。マスコミに入って、いいクルマに、いい女、クリエイティブな仕事!」――は、最終的には他の業界へ。主人公の大原(織田裕二)は、出遅れながらも、数々の幸運もあってエフテレビの最終面接へと臨む……。
 大原は他にもK談社やS潮社、テレビA日、A日新聞なども受けていました。
 この映画がDVD化されたり、サブスクにあがったりしないのは、やはりフジテレビ的にまずいからでしょうか。2万人の応募者から50名程度を残す、超人気企業エフテレビという描き方は、今では要らぬ反感を買いかねません。エンディングに流れる槇原敬之「どんなときも。」は、日本映画史上屈指の主題歌だと思うのですが、残念です。

 

 では、30年以上時を戻して、令和の現在。
 2024年版の『業界地図』がもうすぐ発売されるでしょうが、とりあえず2023年版を眺めて、「マスコミ」を探してみました。

 

 しかし、「マスコミ」はありませんでした。

 

 東洋経済新報社版では「娯楽・エンタメ・メディア」のカテゴリーに、日本経済新聞社版の方は「エンタメ・メディア・コンテンツ」のカテゴリーに、テレビ局・出版社・広告会社等が収まっています。プレジデント社版の『図解業界地図』では、「通信・ネット・コンテンツ・広告」が一括りになっており、その中には(それ以外のところにも)「新聞」の項目は見当たりません。

 かつて、清水幾太郎や南博は、mass communicationを「大衆コミュニケーション」と訳すことに躊躇していました。戦後のある時期までは「大衆」という言葉に、一定の思い入れが社会の側にあったのでしょう。でも、mass societyの訳語が「大衆社会」としてあるため、「大衆コミュニケーション」の語を使い、さらにはいつしか「マス・コミュニケーション」表記、さらには「マスコミ」の略語が定着しました。ともかく、大量の人々に一度に何かを伝達する仕組みが昭和の頃は成立していました。

 そして令和の今、『業界地図』からマスコミは消えました。
 でも、共通の話題がないのはやはり寂しいからなのか、今でも(もしくは以前にも増して)マンガ・アニメ(ときに実写版)の大ヒット作が間歇的に湧き上がってきます。
 ウィキペディアによると、「ONE PIECE」は国内ですでに累計4億部を売り、全世界では5億部をとうに超えているとか。そこまで大規模ではないにしろ、たまたま昨日買った「推しの子」最新巻の帯には、1200万部突破とありました。
 私は「NARUTO」も「ONE PIECE」も「鬼滅の刃」も読んだことないですけど(「東京卍リベンジャーズ」は仕事がらみで映画を最近観ました)。

 ともかく、今、マスなコミュニケーションを支えているのは、マンガ・アニメ・ゲームなどのコンテンツ、そしてSNSソーシャルメディア

 

 就活に話を戻すと、かつて「マスコミ就職」といえば、放送・新聞・出版・広告でした。広告会社を受ける学生は、放送局なども回るのが通例でした。今もそういう学生もいるのでしょうが、最近では「広告会社とIT、ないしはコンサル(ティングファーム)を見ています」という学生をやたら見かけます(ITという言い方も、もはやなんですが)。

 このシリーズは、「広告」とは何か、まだこの概念を使うことに意味はあるのかを問うために始めました。その答えにはなかなか到達できそうにはありませんが、とりあえずの今回の結論は、集合のべン図で言うならば、「広告」と「マスコミ」の交わる部分の面積が、1980年代から2010年代にかけて激減した、という点です。