60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

私にとっての藤原ヒロシ

東京セックスピストルズ
というのは90年前後に、後にアンダー・カヴァーというブランドを立ち上げ、
ファッション・デザイナーとして成功する高橋盾らがやっていたバンドです。
90年代後半、人口に膾炙した「裏原系」なるものの、一つの原点ってことですが、
このバンドに関しては音源が手に入らず、聴いてもいないのでコメント不可能ですので
代わりに「裏原系」の代名詞的存在だった藤原ヒロシという人についての思い出を…。


しかし、80年代から90年代前半の藤原ヒロシの音楽活動に関しても、
あんまり音源が入手できないのですが…。
とりあえず手元にあるのは、『HIP HOP BIBLE★白組』という
ジャパニーズ・ヒップ・ホップの歴史を回顧するオムニバスCDと
『GOLD Vol.1』という、クラブGOLDがらみのコンピレーションというかなんというか…


前者に収録されているのは、タイニーパンクス名義の2曲で、
うち1曲はいとうせいこうとのコラボ(笑)。
後者に収録されているのは、藤原浩名義で作曲のものと、アレンジしたもの各1曲です。


それらを聴いてみて思うことなのですが、この時期の藤原ヒロシの音楽活動を、
一種のレジェンドとして、神格化して語るのは、どんなもんでしょう???
というのが率直な感想です。裏原系ブームのフィクサー然として、絶大な影響力を発揮した
90年代後半の藤原ヒロシの存在感から逆算して、80年代から凄かったはず…
みたいな話になりがちですが、ちょっと冷静になるべきなのでは、と思います。


もちろん、今の地点から、なんか原始的だよね〜、と過去を断罪する気はないですが。
(そりゃ、後出しジャンケンです)
でも、藤原ヒロシや彼をリスペクトする人たちの構築していきがちな、
80年代〜90年代前半の藤原ヒロシ像(ヒロシ神話)だけが、正史として残っていくのも、
どうなんでしょう。


アイドルにいれこんだ唯一の経験が、
30過ぎてのTPD(東京パフォーマンスドール)だった私にとって
藤原ヒロシとは、OPD(大阪パフォーマンスドール)の武内由紀子YUKI)に曲書いた人、です。