60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

ロンゲの頃

80年代の藤原ヒロシ随想、続く。


朝日ジャーナル』が、80年代中盤
「若者たちの神々」に引き続き「新人類の旗手たち」みたいな連載をやってましたが、
その中でロンゲの藤原ヒロシが、「リミキサー」として紹介されています。
DJ、ってコトバが無かったというか、DJといえば一般にはラジオのディスク・ジョッキーのことで
ディスコのDJは、箱専属で、曲の合間にMC入れるのが商売で、
こするの、つなぐのといった技が要求されなかった時代の話です。


そういえば、中森明夫『東京トンガリキッズ』に、
藤原ヒロシのDJプレイ@ピテカントロプスの件がありました。


あと、これまた80年代中盤の『popeye』に、ロンゲでセデショナリーズな藤原ヒロシが、
「眼光鋭い少年」として紹介されてました。このあたりが、その後の長い長い
(巧妙にセグメントされた)メディア露出のはじまりでしょう。


TINY PANXとしては、『宝島』のLast Orgyという連載が有名ですが、
88年だったか『Cutie』創刊号(『宝島』の臨時増刊としてスタート、『CUTiE』ではなかった頃)
にも、TINY PANXの1日を追う、みたいなコーナーがありました。
ア・ストア・ロボットというショップでウダウダ、六本木WAVE行ってレコード漁って
FM番組に出演して…、みたいな話です。
「クラブ」というコトバがまだ定着しておらず、「ナイトクラブ」と表記されていました。
(誰も、部活と間違わないって、とは思うのですが…)


海外の「カルチャー」なり、「コンテンツ」の輸入業としては、掛け値ナシの辣腕家でした。
しかし、そこから「時代の寵児」へは、何らかの飛躍が必要だったはず。
それは、やはり雑誌メディアの力というか、雑誌に表象されたカリスマたちの交遊録の
その要にポジショニングした(された)、の一点に尽きると思います。
彼をその位置に押し上げたのは、誰であり、何なのか?


といったことが、ここ数年気になってます。