60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

タイトル再々変更

タイトルをまたまた変えました。
今度のタイトルは、こういう書名の本を、近々公刊しようとしているので、
それをめぐるアレコレを書いていこうという趣旨からです。


「1961年に生まれて」というのも、この本を書いてく上での、副産物みたいなところがありました。
今春、その『族の系譜学』脱稿のメドがついたので、今度は
「双子用横乗り型ベビーカーに、男女の二卵性の子どもたちを乗せ
街をうろつくおっさんに注がれる周囲の視線をめぐってのフィールド・ノート」
みたいなことを、備忘のため記していこうかなぁ、なんて一瞬思いました。
なので一旦タイトル変えてみましたが、子どもの成長とともに
ベビーカー出動の頻度も減り、ちょっと時機を失したかも
と思っているうちに、校正・校務・教務もろもろの渦の中、
「双子に生まれられて」研究の構想は沈んでいきました。


ベビーカーを押してると、いろいろ周囲とのインタラクションに関して、
面白いネタや切り口もあるのですが(コープとイカリとピーコックの違いとか)、
自分(たち)の事例はどこまで普遍化できるのかも、いろいろ疑問もあるところだし。


そんなわけで再出発します。
ついでに関係ないけど、一本、最近書いた書評原稿を貼っておきます。
共同通信社から、けっこうの数の地方紙に配信されたようです。
著者とは面識もなく、今回初めてそうした方がいらっしゃるのを認識しましたが
歴史学者特有のねちっこさが、いいグルーヴ感を醸しだすタイプの書き手だと思いました。



「一之瀬俊也著『戦場に舞ったビラ』」 

 「伝単」とは、敵に降伏を呼びかけたり、戦意を喪失させるための宣伝ビラのことを言う。飛行機や気球によって投下されることもあり、本書はまさに「戦場を舞ったビラ」によって、太平洋戦争をたどりなおす試みである。
 一読して、日本軍のものと米軍を中心とした連合国側のもの、あわせて百数十点におよぶ伝単の図版にまず圧倒された。そして、伝単をネットオークションで一点一点地道に収集するとともに、多くの名もない出征兵士の回顧録にいたるまで丹念に目を通し、伝単それぞれを多角的に分析した著者の「実証への執念」に感心させられる。
 そうした「厚い記述」からは、戦場の兵士たちの思いや行いが、実にさまざまであったことが浮かび上がってくる。日本軍兵士は、南洋の島々などで食料のみならず、情報の飢餓状態に陥っていた。
 中にはゴミ捨て場からあさった「ライフ」誌で戦況を知った伍長がいる。伝単の握(にぎ)り寿司(ずし)の写真を見て、生きる気力をわかせた幹部候補生がいる。敵の伝単への反駁(はんばく)を、律義に日記に書き連ねた下級将校がいる。伝単を破り捨てつつも、そこに描かれていた軍首脳の腐敗に動揺する上等兵がいる。投降の作法を記した伝単を、万一の時のためにとポケットに忍ばせた兵士がいる…。
 伝単の効果や影響も、またさまざまであった。逆効果に終わっただけの伝単もあれば、おかれた立場などによって、一枚の伝単への解釈が正反対となることもあり得た。
 特に興味深かったのは、伝単の内容以前に、物質としての伝単から多くのメッセージを読み取られていた点である。米軍伝単の圧倒的な紙質のよさや印刷技術、とても拾い集めて処分しきれないほどの枚数は、国力の違いを如実に示す「メディア」として機能したのである。著者も言うように、図版では現物の紙質や印刷の細部までは再現できないうらみが残るが、本書からは伝単をめぐる人々の息づかいまでもが、読者に伝わってくるかのようである。(講談社・一七八五円)