60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

御緩終了

桜玉吉『御緩慢玉日記』3巻にて終了。
鬱だけではなく、なんか乖離性のものを感じさせるエンディング。
またの連載再開を待ちたいものだと思います。


乖離性といえば、そういえば日記タイトルなぜ変えたんだっけと、一瞬自問自答。
学期が始まりバタバタしてると、ええ、まぁ、そんなもんです。


「双子の親であること」話はさておいて、今回はやや脱線。
先日京都新聞に掲載された拙文を貼っておきます。
依頼を受けた時は、内心「屋外広告〜ぅ」と思いましたが、
書いてみるとけっこう楽しかったです。
京都新聞サイドとしてみれば、もっと京都礼賛的なものを意図されたかもしれませんが‥。
(考えてみれば、読者は基本京都人だしな〜)


今年度からは、従来業務に加え週1回の京都出講があるため、
えぇ、まあ、まったく御緩とはしてられない日々を送っています。



 さる3月13日、京都市議会は新景観政策関連六条例を可決した。点滅式照明など屋外広告物は、今後厳しく制限されることとなる。その狙いはもちろん、京都にふさわしい景観の再生・維持である。
京都新聞がこの2月に行った電話アンケートでは、「京都らしい景観を守る必要があると思うか」に対し、「ある」53.6%、「ある程度必要」42.3%といった回答が寄せられている。合わせて95.9%というその数値よりも、まず「京都らしい‥」という設問が成立すること自体が、たいへん興味深い。市民の間では「京都らしさ」について、すでにある一定の共通認識が存在しており、それはあえて説明する必要もないことのようだ。
では、その「京都らしさ」とは何であろうか。「あなたが一番残したい京都の景観」という問いに対しては、東山・北山・西山などの眺望、社寺・名称・庭園、町屋・路地等が多く挙がっているところをみると、少なくとも「近世以前の京都」が念頭におかれているようだ。京都市側も、そうした「京都=古都」観を共有しており、屋外広告などはそれにそぐわないものと見なされているのであろう。
だが歴史的にみて、京都は派手な広告・宣伝活動とは無縁な街だったのだろうか。山本武利・津金澤聰廣著『日本の広告』(日本経済新聞社、1986年)によれば、明治時代、紙巻タバコ市場で他社と激しい広告合戦を繰り返した京都の村井兄弟商会は、1895年の京都第4回内国勧業博の際、四条大橋や東山、如意嶽などに、自社の銘柄である「ヒーロー」の大広告文字を掲げ話題となった。またその工場(東山区)の屋上にサーチライトを据えつけ、京の夜空を照らすなど「イルミネーション広告のはしり」とも言うべき存在であった。
そして1902年に同工場が焼けた際には、「出火に付広告」という人を食ったような新聞広告で話題を呼ぶ。この広告は、東京大学総合研究博物館のホームページで見ることができるが、他にもアド・ミュージアム東京、JTなどのサイトでは、同社のピエロを模した店頭看板や、海外で印刷された「たばこカード」といった景品など、あの手この手のやや「どぎつい」販売戦略を確認することができる。
だが、高木博志著『近代天皇制と古都』(岩波書店、2006年)が明らかにしたように、戦前は国家が「千年の都」イメージを必要とし、また村井兄弟商会は専売制によって転業を余儀なくされていく。戦後には今度はツーリズムが、観光資源として古都らしさを必要とした。旧国鉄の「ディスカバー・ジャパン」やJR東海の「そうだ 京都、行こう」キャンペーンが描き出した京都像などが、その見やすい例であろう。それらCMやポスターなどによって形作られてきた京都イメージが基準となり、それにふさわしくないものとして、現在京都にある屋外広告が規制されようとしている。広告が広告の首を絞めた、というのは言い過ぎであろうか。
 過剰なまでに広告に満ち満ちた悪夢のようなディストピアユートピアの反対)として、近未来社会を描いた映画『マイノリティ・リポート』では、トム・クルーズ演じる主人公が街を歩いていると、彼を瞬時に固体認識し、周囲の壁面のスクリーンに、彼に適した商品のCMが自動的に映し出されるというシーンがあった。インターネットでの商品の購買履歴や検索ワードによって、画面に表示される広告をカスタマイズしていく最新技術などをみていると、あながち荒唐無稽な話とも思えない。当たり前のように広告が満ち溢れていく世界にあって、今回の条例によって生み出される街並は、京都を訪れる人の眼に、かえって新鮮なものとして映るかもしれない。 だがそれはまた、京都の広告業関係者にとって、非常に困難な事態であることは間違いない。かつて広告業界の末席にいた者として、「目立たないことによって目立つ広告」という難問をクリアされんことを願うのみである。