60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

召集令状

特別研究期間といいながら、
5月には講義3回と学会報告1件があり、
徐々に尻に火がついた状況となってきました。


が、この手のテーマのものは
書店で見かけてしまった以上、手に取るでしょう。
読み出した以上、読了せん限り何もできないでしょう。
松本清張への召集令状』森史朗


古典・伝統とされるもの(古典落語を除く)には、条件反射的に「ケッ」な私ですが
高度経済成長期サラリーマン的中間文化なプロダクツには無条件に反応します。
えぇ、私の背負った文化資本とは、そうした類のものです。


編集者しか知りえない興味深い記述に満ちたいい本でしたが、
松本清張召集令状モノといえば、私はまず
『無宿人別帳』中(多分)の一篇を思い浮かべます。


島流しになった罪人を釈放する船が時々来るのに
いつまでたっても自分の名前は呼ばれない…。
実はそれは、奉行所だかの小役人が、めんどくさくなって
罪人の名前の書写をスキップしたがゆえの事態だった…
みたいな話です。なぜ、あれに言及しないのだろう
(自分ないし自社の担当外の小説だった???)。


あと、後藤和智『「若者論」を疑え!』は、あいかわらず小気味よかった。
最近の若者はおかしい(らしい)
→自分たちの若い頃はあんなではなかった(記憶の浄化)
→あの頃にはなくて今あるメディアのせいだ
→日本の未来は真っ暗(とかつてなら亜無亜危異が言ったようなことを言う中高年)
というフォーマットにのっとれば、いくらでも
自動書記的に俗流若者論(というか警世論)が生産できそう。
俗流カルスタのフォーマット(すべての表象には権力が潜んでいるよ〜ん)にのっとって
食パンマンがやたら二枚目に描かれることによって
whitenessの優越というイデオロギーが子どもたちにも云々
みたいな。


DVDでは“Over the RIZE”見ました。
事態の展開早すぎ。でも、面白すぎ。


それから本題に戻って『族の系譜学』の方ですが、
学位論文として受理されました。
それもこれも審査にあたられた皆様と版元のおかげです。
(自分の性格からして、本にできるというメドがなければ、
フィニッシュできない作業でした)
証明書など届けられましたが、アカデミズムへの召集令状ってことでしょうか。
でも、井上光貞と対立(文化資本の違い?)した松本清張のように
何かには挑み続けていきたいと思う今日この頃です。