60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

15年

09年度の教務も最後の一山を越えた感じ。


震災の年、まだ東京で会社員をしていた。
なぜか朝早く目が覚めて、テレビをつけると、大変なことが起こっていた。
大阪の母宅へ早速電話(その時点ではまだ通じていた)。
電車動かないから仕事にいけない、との声を聞き、ひとまず安堵。


近鉄だけが一部動いており、それで出勤した人の中には
職場に着いて、余りにも誰も来ないので
はじめて事態の深刻さを認識した人もいたとか。


出社してみると、当時経営管理部門に移ったばかりだったが
とりあえず関西支社関連の安否が早々にわかる。
阪神間に住む親戚たちも、生命に別状のないことがわかる。


その年のゴールデンウィークに岡山の祖父が逝去。
新幹線が岡山まで開通しておらず、
とりあえず羽田に急ぎ、岡山までの便を確保。


その年の秋には、被災地の大学に転職するため
面接を受けに、有休をとって関西に向かう。
まだまだ沿線には一部倒壊したビルなどが目についた。


翌年春から、その大学で働き出す。
最初住んだ部屋は、新幹線のトンネルの上。
寝っころがっていると列車の通過を感じることができた
その翌年に結婚。新居は、今度は新幹線の高架に近く
震災時に倒壊した箇所の間近だった。
(そのとき住んでいた賃貸マンションは、妙に湿気が多いと思ったら、
床下の配管が震災で一部破損していたことが、入居後かなりしてから判明)


神戸在住』『大阪豆ゴハン』などでしか震災を知らない。
マンハイムの「世代」概念に近しいものを感じたりもする。