60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

(講義関連)アメリカ(40)90年代アメリカ村の「アメリカ」

(ポピュラー・カルチャー論講義補遺)「アメリカ」を考える(40)90年代アメリカ村の「アメリカ」

 

 前回、1970年代日本でサーフィンブームが巻き起こった話をしました。前々回は、全国各地のアメリカ村について。今回は、1990年代以降の大阪ミナミのアメリカ村にとってのアメリカについて。

 大阪ミナミのアメリカ村の名前の由来は、このエリアに1970年代にサーフショップや輸入古着、レコード店などが集積し、西海岸の文化やライフスタイルの影響をうけた人々が集ったことからでした。

 そのアメリカ村は、1990年代以降はヒップホップカルチャーの影響を受けたという意味で、アメリカンな街へと変貌していきます。まず、2000年代初頭の証言をあげておきます。

 

42-44p「わずか500メートル四方に括られた大阪アメリカ村はさながらアミューズメント・パークだ。大人の姿がほとんど目に入らないこの一帯には、ある種のファンタジックな雰囲気さえ漂っている。大阪在住の人間から言わせると近年あまりにも商業化された、東京からやって来た人間から言わせてもらうと竹下通りと宇田川町が一緒になったようなこの街は、しかし中高生と観光客でごった返す昼間の喧騒が静まり、彼らから金を巻き上げたバブルガム・ショップ達がシャッターを降ろすと、がらりとその表情を変える。そこに描かれているのは、日本でも有数のトータル・クオリティと独特の美学を感じさせるグラフィティ・アート。中でも、CMKの作品が目立つ。そして、彼らによってリニューアルされた街並を我が物顔に闊歩していく男達が11人。……今回の主役、韻踏合組合だ。僕は彼らの後ろについて、一歩一歩、ゆっくりと、大阪ヒップホップ・シーンの地下深くへ分け入っていった。/チーフ・ロッカ、ヘッド・バンガーズ、ノータブルMC、イルミントからなる韻踏合組合というクルーの名前を僕が知ったのは、昨年のB・ボーイ・パークで東京ブロンクス(ライター)からヘッド・バンガーズのユウギを紹介された時だった。まずはそのネーミング・センスに笑い、しかし後日聴いた彼らの音源で、今度はその口は驚きで開きっぱなしになった。気付けば僕は新幹線の中にいて、韻踏やドーベルマンのCD聴きながら、大阪で何かが変わりつつあることを確信していた。/ヘッド・バンガーズのDJメントルが住むアパートは、大阪はミナミでもっとも有名なヒップホップ箱として知られる〈ドンフレックス〉(以下ドンフレ)の本当に目の前になる。その立地条件で家賃は6万円程度(!)。彼のケースは極端だが、韻踏のメンバーのほとんどが、アメ村をぐるりと取り囲むようにミナミ周辺に住んでおり、それは、東京で言ったらまるで宇田川町にB・ボーイがたくさん住んでいるようなものというか(もちろん、渋谷の住宅事情では不可能だ)、古川耕氏(ライター)の「韻踏は突然変異的な才能だと思うんだけど、彼らの場合、クルーがまるごと異質というのが面白いな。だって、そこに何らかのコミュニティがあるってことでしょう」(『blast』02年1・2月号)という意見は当たっていたというか、想像以上に、韻踏合組合周辺には、濃い、独特のコミュニティが存在したのだ」(磯部涼『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』太田出版、2004年)

 

 ラッパー(MC)やDJ、トラックメイカーなどからなるヒップホップ・ユニット韻踏合組合について、後輩にあたるR-指定(梅田サイファーの一員で、DJ松永とのユニット・クリーピーナッツを組む)は次のように述べています。

 

181-2p「R 「韻踏が大阪を支配してる」っていう感じではないんですよ。でも自然と顔役になるし、人が集まってくるという。それはに人柄やキャリアもそうやし、ラッパーの登竜門「ENTER」の主催や、大阪ヒップホップのハブであるHIDAさんの「一二三屋」の存在もデカいと思います。中学の頃、電車を乗り継いで初めてアメ村にヤマトとヒロムと行って、一二三屋でCD買ってHIDAさんと握手してもらいましたから(笑)。テークエムもペッペBOMBと一緒に「一二三屋」に行ってポスターを買ったり。だから、梅田サイファーの奴はほぼ全員ヘッズやった時期から韻踏を聴いてたし、今仕事で一緒になったりするようになったのは純粋にうれしいですね(略)HIDAさんは自分のことを「アメ村の村長」って言ってるんですけど、若い子らにラップを教えたり、リリックを書くのを手伝ってあげたりしてるんですよね。ERONEさんは『ダンジョン』の審査員やったり、いろんなところで幅広く活動してるので、大阪の顔役やったり窓口であることは間違いない。次のアメ村ストリートの顔役的な存在としてWILYWNKAが登場して、韻踏も安心しているんじゃないかと。もちろん、梅田サイファーも大阪ヒップホップの一翼になれたらなと思います」

 

 HIDAとあるのは、HIDADDYの愛称。また韻踏合組合の特徴として、R-指定は次のように述べています。

 

146-7p「R 完全にダジャレに聞こえようが、文章に整合性がなかろうとラップとしておもしろければいいっていう。同時に、それを追求したことで、ライミングに関するナシをアリにしたんやと思うんですよね。ヒップホップのおもしろいところって、時代が変わっていくにつれ、「ナシ」が「アリ」になっていくところやとは思うんです。そもそも「日本人がラップするっていうのはナシ」だったのを、「アリにした人たち」の積み重ねが今のヒップホップですよね」

 

 NYのローカルなカルチャー(であるヒップホップ・カルチャー)が、グローバルなアメリカンカルチャーとして日本(語)にローカル化され、さらにそのローカル化の一つのありようとして大阪のヒップホップ・シーンはあるという話でした。

 

 

 

御堂筋ストラット。

 

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