60歳からの自分いじり

恥の多い生涯を送って来ましたが、何か?

ジモト

自身も研究員をつとめている研究所が、昨日「ジモト」をテーマにシンポジウムを開催していた。
立場上、傍聴しにいったが、思った以上に盛況で、議論の方も充実しており、けっこう楽しめた。
いろいろパネリストから発言があったが、それ以外の論点として、ふと思ったことなど以下メモ書き。


町内会や校区から、市町村、都道府県、○○地方、国民国家に至るまで
さまざまな単位、多様なスケールでの「ジモト」が語られていたが
「最寄駅」ないし「沿線」というのも大きな問題のような気がしてきた。
どの沿線に生まれ住むのかが、何がしかのアイデンティティ形成につながっているのでは???
これは、複数の電鉄会社が群雄割拠している首都圏・関西圏だけのことなのかもしれないが。
中京圏や福岡などは、路線ごとの差異はあったとしても、
一様に名鉄ないし西鉄か、もしくはJRって話のような気がする。


南海高野線沿線の、南海が開発した住宅地に育ったものにとって
「ロータリー」は非常に親しい存在であった。
駅前にロータリーがあるのは、全国どこでも見られる光景だろうが、
私の育ったあたりでは、住宅地の中にロータリーが点在してたりもした。
戦前に開発された高級住宅地・大美野がモデルになっていたのであろうか。
ロータリーから放射線状に道が延び、その道はさらにまた別のロータリーへとつながり…
と、アメーバーが手足(?)を延ばすように道がつくられ、住宅地が広がっていくのである。
(『近代日本の郊外住宅地』鹿島出版会、参照)


母方の祖母の家が、わが家から大美野を抜けた先にあったため
チョコボールの噴水」こと、丸い石の噴水のあるロータリーをよくクルマで通過した。
戦後の開発だし、大美野に比すべくもなく区画狭隘なわが住宅地にも
地区の中心にあたるところにロータリーがあり
子どもたちは何かあるとその植栽の「島」に集まった。


今話しても誰も信じてくれないのだが、当時わが住宅地から
私の通っていた幼稚園までは1キロほどあり
年少さんの頃は、牛乳配達を終えた軽トラが
その地区の子どもたちを幼稚園へと運んでいた。
(牛乳をとっている家へのサービスとして。子どもたちの集合場所は、当然ロータリー)
なので同じ地区の園児間にも、森永組と片岡組の派閥が存在した。
送迎バスが普及する以前、牛乳の宅配が一般的だった時代の話だ。
しかも、事故が起こった時の責任は…、といった議論が起こらなかったのどかな時代。


そんなわけで、スコットランドに住んでいた頃、ランナバウトを通過する度に
なんとなく懐かしい気持ちになった(イギリスはよほどの都市部でない限り、信号はあまりない)。


それから、「本籍」というのも気になった。
私は大阪生まれなのだが、本籍は岡山県玉野市宇野である(父方の祖父は造船所の技師)。
小学校の頃は、夏休みの度に「宇野に帰る」のが最大の楽しみだった。
瀬戸内の島に渡って海水浴をしたり、対岸の高松に出かけたり
タイミングがあえば進水式なども見にいった。海への精霊流しも楽しみだった。


スコットランドも、これまたかつて造船で栄えた土地。
近代産業遺産と化した船渠(ドック)を見ると、なんだか懐かしい気持ちになった。


研究所の最大のテーマは「他者問題」なので、シンポジウムの意図としては
ジモト意識の高まりは、ジモトへの誇りと表裏をなす他地域・よそ者への蔑視、
ジモト志向の負の側面としての排外主義・エスノセントリズム(の空気)へとつながっているのでは…
みたいな感じもあったのだろうが、どうなんだろうなぁ。


ロータリーにしろ、ドックにしろ、誇りというのとはちょっと違う。
とりあえず、他よりちょっと変わっている、くらいの話だし
もしくは国内の造船業の衰退を考えれば、「ダメ」な点であったりもする。
(住んでいない者の勝手な言い草だが、連絡船の廃止といい、宇野はすたれていくところが愛おしかったりする)


他との違いを優劣の問題ではなく、ただ「異なっている」と感じる。
しかも、その中で生まれ育っていると、その違いが生理に染みついてくる。
そう言えば、南海沿線を離れて30年以上もたつのに、いまだに広軌の電車には「アウェイ感」があったりもする。
ただそれだけの話。ケンミンショウとかいう番組の人気も、そこらあたりにあるのでは。


シンポジウムでは、ジモトへのアンビバレントとか、アイロニーといった言葉も使われた。
ダメで嫌なところはたくさんある、もしくは何にもないところ、だけど…
この「だけど…」がポイントなのだと思う。


それからジモトとは、やはり子ども時代の記憶と強く結びついた情動の産物なのではないか、という気もする。
転勤族の子どもだからジモトがない…、といった言い回しをけっこう耳にしたような。
帰国子女となると、もっといろいろ複雑なんだろう。
単身赴任というのも、昔はさほど一般的ではなかったように思う。


かつては転勤を繰り返すことで地位は上がっていっただろうし、
ジモトがない、もしくはジモトと切れることが、階層の上昇を意味したのかもしれない。
しかし現在だと、ジモトから離れることは、寄る辺なき生への頽落すらも意味しかねない。
そりゃ、ジモト意識は高まるだろう。
だけど、地方のジモトには職はなく…、というディレンマ。
だから離れなければいけないのだが、離れてはじめてそこが他と違っていたことを認識し
(空気が無くならない限り、空気の存在を意識しないように)
そしてその「違い」が生理に染みついていることを自覚し、なんとなく出身地にノスタルジーをおぼえ
かつてのジモトを「ホーム」と感じてしまう、ないしは新しい土地で「ホーム」を求める。


高校卒業後、25年間賃貸生活を続け、京都・東京・兵庫とさまよった。
その間、それぞれの街に愛着は感じつつも、どこもジモトとは思わなかった。
さすがに、今の居住地に対しては、再度ジモト意識が芽生えつつある。
でもそれは、子供たちにとってここがジモトになるんだろうなぁ、という気持ちからのようだ。
60年代に開発された住宅地(高齢化進む)に、代替わりの機に入り込んだ新参者にとって
コミュニティに受け入れられたとするならば、私個人としてではなく
「○○ちゃんのパパ」として、町内の年長者に認識されたからだろう。


シンポジウムの中でも、オタクたちのアニメ聖地巡礼の話があった。
彼らがいくら「(アニメ絵の)痛(い)絵馬」を神社に吊るそうと、
「(アニメ絵の)痛(い)神輿」を担いで地域の祭りに参加しようとも
地域のご老人たちは、オタクとしてではなく、最近の若い人として認識し、受容しているそう。
祭りの時期に帰郷し、伝統的な神輿を担ぐ
どちらかといえばイカツイ感じの、青年団の兄ちゃん・姉ちゃんも
アニメオタクたちも、「最近の若い人」という点では、同様なのであろう。
年をとるというのは、けっこういいことなのかも。


その一方で、例の事件以後、秋葉原に監視カメラが設けられたとの話もあった。
少なくとも某町のお年寄りたちは、アニメ聖地巡礼者に対し、監視カメラを向けることはしないだろう。


話を自身に戻すと、子どもや幼稚園・小学校を介して、
ネットワークが形成され、ジモト意識や地域活動への参加意識が高まっていく…
という感覚を日々実感しているところがある。
シンポジウムではジェンダーとジモト意識との関係という話もあったが
ダイレクトにつながっているのは、ジモト意識と子育てなのではないか(私立小お受験という世界もあるが)。
となると、単身者や子育て期間外の家庭は、排除とまではいわなくても、
どこかでジモトから疎外されているのかもなぁ。


正直な話、子どもたちを連れて公園などを渡り歩いていると
大声で独り言ないし唐突話しかけ系の人に身構えてしまうところがある。
近所の神社で痛絵馬ならぬ電波絵馬を見た時も、
よく子どもたちを境内で遊ばせているだけに、心はざわついてしまう。
他者問題を扱う研究所の所員としては、自らをかえりみることも思考の糧としたいところだ。


ま、なんだかんだ言って、結局言いたかったことは、
スコットランドから戻ってきて半年ほどの間
スコットランドに帰りたい」だの
「俺はなぜこんなところにいるのだろう」だのさんざん口走り
けっこう周囲から顰蹙や不興をかったが
それは、単に日々の業務がまた始まったという倦怠だけではなく
ロータリーとドックのあるスコットランドが自分のジモトになっていたのだし、
それは私にとって必然的なことだったのである!
以上、顰蹙被喚起者の方々への言い訳終わり。